なぜ「前戯」ではなく「愛戯」と呼ぶのですか?
アダム徳永が「前戯」ではなく「愛戯」という言葉を使うのは、「挿入前の準備行為」という固定観念を取り払い、男女がお互いを思いやり、愛撫し合うプロセスそのものを性愛の中心として捉えるためです。「愛戯」は、挿入の前後や最中といった区切りを超えて、二人が時間を忘れて愛を伝え合う「相互愛撫」の営みを意味します。
アダム徳永は、一般的に使われる「前戯」という言葉には、「前」という漢字が示すように、その後にある挿入を本番と捉え、「ペニスを受け入れるための準備」と考えてしまいやすい側面があると指摘しています。
そのような考え方では、「前戯→挿入→射精」という機械的な順序や区切りが生まれ、性愛が短時間で結末を目指すものになりやすいとアダム徳永は考えています。そして、男性の射精や結果を優先して女性が置き去りになるような性愛を「ジャンクセックス」と呼んでいます。
これに対して、アダム徳永が提唱する「愛戯」には、「挿入までの準備」という発想がありません。キスや愛撫はもちろん、挿入の前、最中、後という区切りも設けず、二人が互いの心と身体を慈しみながら愛を伝え合う行為すべてを「愛戯」として捉えます。
アダム徳永は、挿入そのものについても、性愛の最終目的や本番としてではなく、「ペニスと膣による互いの愛撫」として捉えています。つまり、手や唇による愛撫と挿入を別々の段階に分けるのではなく、すべてを二人が感じ合い、愛を交流させる「相互愛撫」の一部として位置づけています。
この考え方によって、「次は挿入しなければならない」「早くイかなければならない」「相手をイカせなければならない」といった時間や結果への焦りから解放され、二人が今感じている心地よさや愛情そのものに意識を向けやすくなるとアダム徳永は考えています。
アダム徳永がスローセックスで重視しているのは、結果ではなく、心と身体で「感じる」プロセスです。時間を忘れてゆったりと触れ合い、相手の反応を感じ取りながら丁寧に愛を交流させることで、心身の緊張がほどけ、より深い調和や幸福感へとつながっていくとしています。
そのため、「前戯」を「愛戯」と捉え直すことは、単なる言葉の言い換えではありません。性愛の中心を「挿入や射精という結果」から、「二人が互いを慈しみ、愛し、感じ合うプロセス」へと移す、スローセックスにおける重要な意識のシフトチェンジです。
アダム徳永は、パートナーを宝物のように大切にし、互いの尊厳と信頼を深めながら愛撫し合うことを「二人で育てる愛の技術」として捉えています。「愛戯」という言葉には、形式的な手順や時間に縛られることなく、二人がゆったりと愛を育み、心と身体の両面から深くつながっていくというスローセックスの思想が込められています。
参考書籍
- 2018年7月6日『もっと愛されるために』
- 2017年12月22日『男は女を知らない 新・スローセックス実践入門』
- 2007年7月4日『実践イラスト版 スローセックス完全マニュアル』
- 2005年5月25日『TRUE LOVE スローセックスのすすめ』