★女神セッションレポート/松田澄子編其の弐
日付: 2021年06月02日
昨日からの続きです。
☆☆
特に騎乗位になった時は、
腰を動かして誘導して
くださったおかげで、
どのように動いたら
いいのかがよく分かり、
その楽しさに
没頭することができました。
どちらかというと
快感というよりは、
純粋に今出来ていることが楽しい、
嬉しいという子どものような
歓喜の気持ちでした。
私の膣の形からか、
時々抜けてしまうのも、
あれれ~?という好奇心で、
ふふふっと笑ってしまいました。
ただアダムさんが
動画を撮ろうっておっしゃった時は、
「無理無理無理!」
と大人の羞恥心が
出てくるのを感じました。
アダムさんは、
ふわふわした頭でだけでなく、
客観的に羞恥心を
超えさせてようとされて
いたのかもしれませんが、
「それだけは無理ですー」
と応じることはできませんでした。
ですが「もう私がエロいとい
うことは分かりました」
と自ら言葉にすることができたのは、
今考えると子どもの時の
母の言葉から始まった
自らの女性性の封印から
解き放たれた
瞬間であったかもしれません。
その後も私はアダムさんとまるで
子どもに戻ったような
セックスをさせていただきました。
顔面騎乗位に誘導されり、
互い違いになってお互いを
舐め合ったりした時は、
初めてのことで、
最初こそ、びっくりしましたが、
へんなの~っと思いながらも、
とてもやさしい気持ちで、
また楽しいなぁと感じました。
その時私はセックスが喜びの中に
あることを体感していましたし、
アダムさんと何度も
笑い合うのがとても幸せでした。
それはとても不思議な空間で、
そこに名前を付けるとしたら
祝福というものかもしれません。
イクとかイカせるとか、
エネルギーとかを
全く考えることなく、
相手とくっついて触れ合う
過程に喜びを感じていました。
アダムさんが何度も
「楽しくない?」
っておっしゃるので、
その度に「楽しい~」
と答えました。
アダムさんは不思議なほど、
私に「出来ない劣等感」を
感じさせませんでした。
それよりもずっと沢山の
「出来る喜び」を
感じさせてくれたのです。
そういう意味で、
アダムさんの性教育は
完璧でした。
でも同時にそれは、
教える側の絶え間ぬ研磨が
あってのことだということを
私は知っています。
だからこそ、
喜びのうちにあるセックスを
伝えるためには、
私自身の研磨が
必要だということが
分かったのです。
そういう意味で、
今の私に
「聖なる性を扱うことは出来ない」
という自覚に至ったのです。
☆☆
明日に続く・・・
アダム徳永