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★女神セッションレポート/松田澄子編其の参

日付: 2021年06月03日

昨日からの続きです。

 

☆☆

 

女神セッション中、

実は気になったことが

あるのです。

 

それは私が

アダムさんに聞かれて、

女神セッションを

「空」と答えたことに

象徴されます。

 

注がれる無償の愛に

包まれる喜びを感じつつ、

同時に私は別の何かを

探していたように思うのです。

 

その時の私の行動は

無意識なので、

自分でもよく分からずに

やっていたのですが、

一連の行動の意味が、

今は分かったように

思いますので、

記録したいと思います。

 

まずアダムさんの

眼鏡をはずしたこと。

 

「目を開けてください」

って言ったこと。

 

多分アダムさんを

困らせたと思います。

 

でも、その時、私は、

探しものをしていたのだと

思います。

 

私が感じた女神セッションは

「与えるセックス」です。

 

相手から何も奪いません。

 

もう少し言うと、

施術者が相手の肉体や

エネルギーを感じるものでは

ないと思いました。

 

だから私は喜びに

包まれながら

「空」を感じたのです。

 

もちろんアダムさんは、

相手が感じているかどうか、

その状態をとても繊細に

観察されていると

思うのですが、

ご自分の皮膚感覚としては

あまり相手を感じて

いらっしゃらないのでは

ないかと思いました。

 

それは手もペニスも

例外ではありません。

 

それよりも視覚を起点として、

ご自分の中で気を回して、

手やペニスからの気で

相手を感じさせることに

集中されていたように思います。

 

それはとても正確で、

粛々とした行為です。

 

だからこそエゴが入らず、

奪わず相手を感じさせることが

できるのではないでしょうか。

 

そして無私の気を

注がれた相手は、

自ら無私の意識を開いていく。

 

これは私も似たような

経験があります。

 

末期がんの母の体を

なでていた時、

私は撫でながら、

彼女の気が休まるように

無心に祈りました。

 

当然ですがそこには

感謝されたいとか、

私にとっての満足とか、

そういったエゴは

何もなかったと思います。

 

そしてそれは彼女に

通じたようでした。

 

母はエゴの

塊のような人でしたが、

私がなでればなでるほど、

穏やかになっていったのです。

 

そして痛み止めのモルヒネの

影響もあったでしょうが、

少女のような顔で

「金色の稲に囲まれて、

すみこがいたよ」と

言うような不思議なことを

微笑みながら

言うことがありました。

 

アダムさんが

無私でいてくれるから、

セッション中は、

本当に私も無心になって、

その喜びの中に

いることができました。

 

でも多分、私はアダムさんの

気を感じながら、

自分の性エネルギーを

与えたいと思い、

その受け取り手を

探していたんです。

 

「あれー?どこに

いるんだろう?」って。

 

アダムさんに受け取る

気が無いのですから、

受け取り手が

いるわけはないのです。

 

 

☆☆

 

明日に続く・・・

 

 

アダム徳永

 

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