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金木恵津子 38 2

日付: 2020年11月18日

前回、スローSEXを初めて体験して、今まで自分が知っていたセックスというものが根底から壊れ、本当のセックスを体験しました。ただ、私の体調の面と、経験が少ない事で極度に緊張してしまった事もあり、心残りな部分がありましたので、先生のはからいで二回目のチャンスを頂く事ができました。

セックスの経験が少ない私は、いつもどこか自信がなく、感じられない体が女性として欠陥があるような、負い目があるような。とにかくSEXが始まると頭の中は「どうしよう、どうしよう、次は何をすればいいの?どうするのがいいの?SEXはどれが正解なの?」と迷いの迷路の中に入ってしまうのです。又、羞恥心が邪魔をして自分をどう出していいのかがわからない。いつのまにかセックス事態に自信喪失になっているような気がします。

先生との会話の中で、先生に「一般的に女性も、セックスの事を本を読んだりして勉強しているんですか?そういう事しないとやっぱり感じるようにならないのでしょうか?」という質問をしました。先生は「セックスは人間が本来誰もが持っている本能だから、本当はそんな事はいらないんだよね。その本能に気づいているかいないか、という事かな。」と教えて下さいました。その言葉に「私にもきっとその本能があるんだ、だから大丈夫なんだ!」と少し安心感を覚えました。

少し会話を楽しんだ後、お風呂に入る事になりました。とりあえず、ここまでは、前回よりは落ち着いていたのですが、二回目とはいえ、やはり緊張が高まっていきました。「いけない、いけない。せっかくこの間セックスを楽しむ事を教えて頂いたのに」緊張をしながらも「今、素敵なこのひと時を楽しもう!」と言い聞かせてバスルームへ入っていきました。

お湯につかり、先生の前に背中をむけて抱っこしてもらう感じで座りました。この間はこの時点で緊張で体がカチコチで、先生によりかかる事も出来なかったのですが、今回はなるべく頭を空っぽにして、先生に身を任せる事が出来ました。「自然に自分のしたいように、本能に身を任せていれば大丈夫…..。」と言い聞かせながら。

とはいえ、「油断をしたら、またいつもの自分が顔を出してしまいそうで、どうしよう」と思っていました。ふと、先生が有線でかけて下さったジャズが耳に入りました。「リラックス、リラックス」緊張感が、顔を覗かせないように音楽に意識を集中させて、音楽のムードに、先生のやさしいタッチに、自分のテンションを乗せていきました。

すると、不思議にふっと体の力が抜けてフワッとして、なんだか頭が少しけだるいような、でもそれが何とも心地よい、不思議なとてもいい気分になり、なぜかとても先生にキスがしたくなりました。そして、自然と自分から唇を重ねていました。私がそんな気持ちになり、自分から行動にする事は、今まであまりなかったのですが…。キスといっても濃厚な激しいものではなく、ほんの軽い触れるか触れないかのソフトなキスでしたが、逆にそのやわらかさが体の奥深いところに届いた感じがして、とてもとても素敵になぜかエッチに感じました。そして、もう少しだけ深く、重ねたくなりました。もう少しだけ、もう少しだけ少しづつが、かえって、どんどんと自分の欲求を高めていく感じでした。先生は、けっして積極的にはならず、でも無視をするのではなく私がしたいように、私のペースで相手していて下さいました。ほんの軽いキスでこんなにも私の中で変化が起こっているのは先生でもわからないくらい、何でもない1シーンでしたが、私にとっては、今考えると初めての本能がさせた本当のキスだったのかもしれません。男性は濃厚な激しいキスが感じると思っているのか、いきなり、よく最初から濃厚にしてきますが、私は気持ちよい事とは、今まで思えず、それをする意味さえ、よくわからなかったのです。でも、普通はそういう風にするもの、私が感じられないだけだからしょうがないと、仕方なく受け入れるしかなかったのです。男性の事はわかりませんが、女性のセックスは本当に心の占める割合が大きいのかもしれないなぁをと感じました。

体をお湯の中でタッチされているうちに私の鎧のような理性が、どんどんと壊れていき、心が開放されていくのがわかりました。先生はその変化を見抜いているかのように、バスタブの角に私を座らせ、足を開きタブの淵にのせました。とても恥ずかしいポーズ。先生はちょっと意地悪に「わぁーすごいねぇ、エッチだねぇ」とからかうように言いました。私も「えっーうそでしょ」と一瞬、顔を背け、たじろぎそうになったのですが、先生がおどけて楽しそうに言うので、一緒に笑っていました。そして、クンニリングスがはじまりました。「やっぱり恥ずかしいよ」心がつぶされそうに。でも同時にそんなエッチなポーズをしている自分にはっとしました。どこか感じているのです。でも、やっぱり恥ずかしさがムクムクと顔をだしそうになると先生も絶妙なタイミングで、モデルを撮るカメラマンの真似をして「いいねぇ~」とか言って笑わしてくれるので、吹きだしてしまいました。恥ずかしいやら、おかしいやらで、複雑にいろいろな気持ちが入り混じって、もうおかしくなりそう。でも本当に楽しい。

私は、幼い頃の親のしつけによるものだと思いますが、少し理性が強いのかもしれません。「女性だから奥ゆかしく」とか「女性だからセックスに積極的なのは、ふしだら」というような事が無意識的にあるのかもしれません。セックスは子供を作る大事な行為であるけれども、自分が今、バスタブでしているポーズなどのたぐいは、何か映像で見たかもしれない、いわゆる男の人のエッチビデオなどにでてくるのもので「いやらしい」「ふしだら」「不謹慎」。特殊なものと心のどこかに思い込んでいて。そんな私が、そのポーズに恥ずかしながらも、楽しんでいる私ってなんてふしだらなの。私の中にこんな一面があるのかと正直、自分でも本当にびっくりしています。

女性としてある程度の理性と奥ゆかしさは大切な事と思いますし、私が女性として持ち続けていきたい親が教えてくれた女性としての志ですが、でもセックスの時は私のように理性が強すぎるとそれが原因となり、自分を解放できない事もあるのかなぁと思いました。先生はそんな女性の心の微妙な繊細な部分を少しづつ、上手にやさしくゆっくりと開放して下さいました。

ベッドに移り、抱き合いました。特に激しくもなく、穏やかに。心の準備が出来ているからなのか、本能が目覚めだしているのか、前回とは違っていました。パウダーでやさしく全身をマッサージ。パウダーのやさしい香りと先生の手の温かさは前と一緒でしたが、「この間より体の反応が少しいいのかなぁ」体が勝手に反応してしまう。でもでもすごく心地よいと感じるというような強いものではなく、気持ちよい穏やかな波の上を漂っているみたい。そんな状態でクリトリスを軽く触れられただけで、体がよじれるほど反応してしまう。腰のあたりもただソフトにタッチされているだけなのに。いつもこんなに感じたっけなぁ…。

いつもはここで、男性に今だ!ここだ!とばかり、激しく愛撫されて気持ちよいのが一気に冷めてしまう。だから感じられない。感じないからもっともっと激しくなる。ますます感じるどころではない。「演技しなくちゃだめかな」と思いはじめ気がつけば、現実的に頭でいろいろ考えて、オーガズムどころではない、というパターン。

でも先生はその気持ちよいリズムを崩さずに、でもだんだんと反応が強くなっていく私の体に合わせていってくれているように、愛撫を続けていって下さったように思いました。髪の毛から足の先まで、丁寧に優しくタッチ。頭が空っぽになって、違う世界にどんどん引き込まれているように感じました。「無」に近いような、心地よい不思議な世界。

ここまでは、順調に波に身を任せていたのですが、先生がクンニリングスをしてくれた時、気持ちよいのだけど、でもそれ以上感じ方に変化のない状態がだんだん長くなってきて、いつもの私が顔を出し始めました。いつも私は男性に対して、感じられない自分が申し訳なくなってしまうのです。男性に聞いた事はないのでわかりませんが、口で陰部をクンニリングスする行為自体を男性はどんな気持ちでしてくれているのかと、それをするのが好きなのか、それとも女性を喜ばすためにがんばっているのか、そんな疑問が解明されないまま心のどこかにあるのです。多分私がフェラチオを今まで出来かったので、そんな事とも重なり、男性も我慢して、一生懸命女性をイカせる為にがんばって愛撫してくれるのではないかと思っていて、そんな男性の行為に、いつもこたえられない自分の体に欠陥があるような思いで、申し訳なくなってしまうのです。男性ががんばってくれればくれるほど、ますますプレッシャーで感じられなくなり、その行為から逃げたくなってしまうのです。だから仕方なく感じたふりをして早く終わらせようとしていました。その時もこんな私の体にクンニリングスをしてくださる先生に申し訳ない気持ちになって、その行為から逃げたくなってしまいました。

前回オーガズムに達せなかった事も原因でしょうか。確かに前回、先生にして頂いても、オーガズムらしきものは感じられたものの、「本当にこれがそうなの?本当はまだ、たどりつけていなかったのではないか」という思いも正直あったので、「こんなにセックスについて知りつくしている先生にして頂いても、イケなかったんだから、もう私の体はやっぱり、不感症なのかも」と思っていました。だから今回、二回目にお会いできるチャンスを頂いて、とても嬉しかったと同時に「もしこれでだめだったら、やっぱり私の体は」という怖さもありました。そんな思いをかき消すように「大丈夫、先生に体を預けていれば、楽しむ事だけ考えて」と自分に言い聞かせて、頭をからっぽに、又音楽のムードにひたるようにしていました。

すると突然、体に異変がありました。体の奥底のほうから、いつもと少し違う感覚が押し寄せてきました。でも、すぐにどこか消えてしまいした。「あれ!なに、これ?」その後も何回か押し寄せてくるのですが、すぐに消えてしまう。何だか分からないけど無性にそれを掴みたい気持ちなのに掴み取れないというような感じ。「これってイキそうなの?」そんな状態がしばらく続いて、だんだんその間隔が狭くなってきて。

次の瞬間、いきなり大きく押し寄せてきた波と同時に声をあげ、まるでダムが決壊して、大量の水が流れ出るように、それは突然やってきました。感じるとか気持ちがいいとかそんな次元のものではなかったと思います。自分の体が自分のものでないような、コントロール不可能でした。言葉では言い表せない、ただ体が反応するままに、本能のおもくくままに、声を出し、身をゆだねていたと思います。汗びっしょりになって。こんなに汗をかいたのは、初めてでした。いつもは、私の体を男性に貸しているという感覚だったので、手足はだんだんと冷えて、心も体も冷え切っていくパターンでした。セックスで一回も汗をかいたことがなかったので、びっくりしました。体がすごくすごく熱くて熱くて。前回、感じたものとは別格な“すごい”ものでした。正直、その状態に陥ってからの事は、今思い出そうとしてもあまりよく覚えていません。気持ちよかったのか感じていたのか、とにかく「すごかった」としか。

よく覚えてないのが、今では残念でしかたありません。何回かこの状態を経験し、体が慣れれば、もっと「気持ちいい」と感じ、楽しむ事ができるのでしょうか。オーガズムとはもっともっと奥の深いもので、まだまだ何かがあるのでしょうか。私の体はもっともっと変化していくのでしょうか。これは先生が本でおっしゃっている性感脳が開花したのでしょうか。これからどう感じ方が変わってゆくのか、とても知りたくて自分としても楽しみになってきました。理性が強い私はどこかへ行ってしまいました。

その後は色々な体位で、先生と楽しみましたが、実は、私は先ほどの初めての経験がすご過ぎて、この時は意識がもうろうボーっとしてしまっていました。だから先生にもあまり私からは、してあげられず申し訳なく思っています。

オーガズムを感じるまでが、私は時間がかかったような気がしたので、やはりイキにくい体なのではないかと心配になり、先生に尋てみました。「みんなあの位かかるよ」と言われ、ほっとしました。あのすごい世界へ行くのは、やはりたやすい事ではないのだなぁと思いました。何かの映像で見たように簡単になるものではなく、時間の流れを楽しみながら、ゆっくりゆっくりとセックスを楽しんで行き着く所のようです。

私はきっと本当のセックスをまだ少し知っただけで、もっともっとその世界は奥深く何かがあるように、感じられてなりません。私自身としても、まだまだ課題はたくさんあって、男性に対しても喜ばしてあげたいとか、男性と一緒に頂点にいく事が出来たらどんなに素敵だろうかとか・・・。私が変わることによって、どんな世界が広がっていくのだろうと、もう今までのセックスでは我慢が出来ません。

私は、色々な思いや過去の経験に縛られ、女性の気持ちを無視したセックスに感じられない自分を責め、本当のセックスをした事がなかったのだなぁとつくづく思いました。セックスについて未熟で奥手だった私が、「スローセックス」で心を開放する事によって、セックスを楽しみ、こんなにも貪欲にセックスを求めるようになるとは私自信も想像がつきませんでした。女としての自分を取り戻す事ができ、少し自信もついたような、セックスを通して、セックスだけでなくて、私自身が変われた気がします。

今までの私にとっては、このような機会に応募するには、本当に本当に大変な決心でした。心に傷をかかえ、すっかり自信を失って、女性として生きる事を諦めて生活していました。私は今時の女性からすると、少し珍しい超古風なタイプであり、「結婚前はセックスしない」と潜在的に思っていたのか、なかなか一線をこえられなかった状況でした。主人とは結婚する前に結ばれましたが、主人が初体験でした。初体験に至るまでも大変な葛藤があり、主人もあの手この手を使ってという感じで、結局ほぼ無理矢理というか、「彼に悪い」という気持ちから仕方なしという感じでした。つまり彼しかしらないのですから、彼がすることがセックスのすべてになってしまっていました。初体験の後もデートをする度にラブホテルに行きたい彼と、ラブホテルに行くことすら後ろめたい気持ちになってしまう私とで、もめる事は多かったです。

でも晴れて結婚して、私としては何の障害もなく心が解禁したのに、意外と思ったより彼は求めてきませんでした。「何でなんだろう」とても寂しかったけれど、私からは性格的な事もあって言えませんでした。

それでも数少ない回数のセックスの中で二人の子供を運良く授かりましたが、その後もますます求めてきませんでした。24時間体制で育児をしている女性にとっては、心のよりどころでもある夫から、女性として見られない事がどんなに苦しい事か。とてもとても寂しかったです。

二人目を産んだ後、めずらしく求めてきた時、彼は最後まで出来ませんでした。彼からセックスが出来なくなってしまったと告白がありました。それは、立会い出産が原因だから、「お前のせいだ!」と言われました。私は二回の出産を“立会い出産”を希望し、彼も快く承諾してくれていたので、「お前のせい!」と言われて、とてもとてもショックでした。出産した事を否定されているような。

寂しい夜は続きましたが、彼はとてもプライドが高い人なので、彼の不能な状態は、女の私には計り知れないナイーブな問題だと思ったので、夫婦生活についても何も言えなかったし、どんなに寂しい夜も私からは求める事ができませんでした。このまま私は女性として終わってしまうのだろうか。でも“私のせいだから”我慢するしかないと言い聞かせました。俗にいうセックスレス夫婦になりました。だから、女としての私は封印するしかありませんでした。

それなのにある日 彼に何か違和感、女性の影を感じました。本気の人なのか商売の人なのかとにかく女性とセックスしている気配。私とはセックス出来ないのに、ほかの女性とは出来るの。その時私の中で、何かが崩れ落ちました。友達は「遊びなら男性は少なからずみんなそんな事やっているよ」と言うのですが、そんな事では片付けられない。ずっとずっと寂しかったのに。女性として切ない思いを我慢していたのに。今まで押さえていた気持ちが一気にあふれて、怒りとも悲しみとも言えぬ感情が噴出し自分の気持ちがコントロールできなくなりました。昼間の何でもない午後に無償に寂しくなり、涙がとまらなくなったり、彼の一挙一動が気にかかり、疑い、どこにもぶつけられない気持ちに気が狂いそうになったり、辛い毎日でした。でも何か怖くて彼に本当の事をぶつけられない、聞けない。

そんな思いを抱えながらも、子供の前では母親をしなければならなかったので、気丈に明るく普通にふるまわなければなりませんでした。そんな本当の自分の気持ちを抑えた生活の無理からか過呼吸になったり、結局、精神科のお世話になるようになりました。“うつ”との診断でした。治療に暫く通いましたが、相変わらずつらい日々でした。薬である程度回復したものの、もう一息の所で、又調子が悪くなってしまう。全快しない。医師からは、「ここからは、あなたの心の問題です。彼をあなたの中から切りなさい。外で何をしようが構わないと思える強さが必要です」と。それはそれはつらい大変な事でした。私のような専業主婦は特に、家の中が行動の中心となる為、知らず知らずに夫に心を依存する割合が高いのかもしれません。女である自分には、目を伏せて、やがて回復しました。

もう何年も「母」として、「主婦」としてだけしか、生きていませんでした。しかし、先生の本を手にした時、私の女性の本能が一気に目覚め、このままではいけない、いやだと強く強く感じ、自分でも信じられない行動を起こしたのでした。

最初は女性として、感じたいという思いが強かったのですが、このスローセックスを通じて、女性を取り戻せただけでなく、自分を解放する喜びを知ったような気がします。これはセックスだけに限らず、私は性格的にもいつも自分の気持ちを押し殺してしまう傾向があるので、もう少し自分の要求や欲求にも耳を傾けて心を開放してやればもっともっと素晴らしい人生、そしてセックスをする事が出来るのかなと思いました。先生には本当に感謝感謝です。この「スローセックス」に出会えた事で、人生観が変わりました。

主人とは依然セックスレス夫婦の状態が続いていて、もしかしたらこのまま私のセックスは何事もなく終わってしまうかもしれませんが、先生とお会いでき人間の本能のままセックスを体験させて頂けた事は、大袈裟かもしてませんが、私が女性として生まれた証をもらったような気がします。本当によかったと思います。セックスって本当に素晴らしいものなのですね。

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