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今回のモニターと食事の後、私は部屋に帰るとすぐに服を脱いで全裸になって、ベッドに横たわりしばらくの間泣いていました。とても気持ちよく安らぐ涙でした。実はアダム先生がフィニッシュした後ふたりでつかの間まどろんでいて、先生に背中を向けて目を覚ました時と、目を覚ました先生と向き合って腕&胸枕をしてもらいながら会話をした時にも、涙がすーっと頬を伝って落ちて行きました。先生の腕か胸に涙が落ちたかどうか、先生が私の涙に気づいたかどうかは判らないけど、モニター時にこんな風に泣く女性も少なく無いのではないかと思います。言うまでも無くそれは哀しい涙では無く、とにかく「先生のことが好き~!」って想う切ない気持ちに、満たされて愛された歓びと感激、それにこれからのパートナーを切望する情熱とが一気に涙になって溢れ出してきてしまったのだと思います。

先生と一緒のときにあまり泣くのもどうかと思ったので、その時はストップをかけたのですが、家に帰って私が一番したかったことは続きの涙を流してしまうことだったのです。幸せで安らぐ、心底癒されてほっとする、懐かしい気さえするそんな涙でした。

私は行為中に5、6回ほど「先生、すき~っ」って声に出して言ってしまいました。その言葉には多少は大脳の左脳が働いているかも知れませんが、ほとんど喘ぎ声とか悶える声と全く同じように、自然に押されるようにしてその言葉が出てしまうので、それを止めようとは思いませんでした。「好き」と伝えることは別に悪いことではないでしょうし、それにこの場合の「好き」は理屈ではなく、つまり左脳ではなく右脳が、さらに言えば本能が言わせているので、性行為の快楽の只中にいる時の特別な「好き」です。勿論しらふの時でも、理屈で考えても、先生のことは好きなのですが、その「好き」と行為中のこの「好き」とはちょっと種類が違うのです。私のその甘える様な、すがる様な「好き」に対して、先生は大抵いつも「ありがとう」とお答えになっていらっしゃいました。つまり先生は私に対して自分も好きだとは決しておっしゃらなかったのですが、寂しいとも不満にも感じませんでした。これが今まで付き合った男性のように、恋愛感情から入ってセックスに至った相手、つまりいわゆる恋人の関係の相手であったら、きっと寂しさも不満も感じたと思います。でもアダム先生との関係はそれとは違うので。

先生はとてもステキな方で大好きだけれど、なんというか、スターとか神様見たいな存在に思っているから、私にとっては今までにない不思議な関係性の中でもセックス、その自由さ、縛られなさがとても心地よいです。アダム先生と初めてのモニターの面談をした際にも伝えたことだけれど、もともと中学生の頃から私は、男女が一対一で付き合わなければならないとか、それ以外は罪悪だとかいう考え方にはなじめなかったので。自然とそうなるのは大いに結構なこと、幸せなことかも知れないけれど無理にそうあろうとするなどは不自然極まりないと。ましてやセックスが二人の愛の証であるとか、お互いに他の相手とセックスをしないことが二人の絆の証拠で、浮気は裏切りであるなどといった考え方は私にはさっぱり理解できませんでした。だからと言って私が不特定多数の異性とセックスそしてきたと言うことは全くなく、むしろその逆であったと思います。ただ私が思うことは、お互いに楽しく幸せになれて、「愛」のようなものを感じられる関係ならばそれでよくて、そこにタイトルなどは必要ない、つまり恋人とかセフレとか友人とかいう呼び方はどうでもいいと思うのです。勿論夫婦と言う関係は婚姻法により明確に定義されますが、事実そのものはそれだけのことで、それ以上でも以下でも無いですから。

初回のモニター後にサルサクラブに連れて行っていただいたのがきっかけでサルサのレッスンに通うようになったのですが、そのダンススタジオは、2回のモニター時に先生と待ち合わせをしたカフェのすぐ隣にあります。時間調整の為にそのカフェに時々行くようになり、その度に又先生との事を思い出してしまうのですが、もしそこで他の若くて綺麗な女性が先生と待ち合わせているのを見たとしても、私はその女性に「よかったね、先生にいっぱい幸せにしてもらってね」と心から思えます。もともと恋人に対しても他の事柄に関しても嫉妬と言う感情がほとんど無いというか、少なくとも自覚は無い私ではありますが、先生に対しては更にその気持ちが拡大されたようになるのが不思議です。

前回のモニター以来、全く抵抗が無くなったラブホテル。同じところしか知らなくて…、と先生は言われたけど、前と同じところなのがかえって懐かしさを感じさせて、前回の記憶が蘇ってきて嬉しく思いました。私は別のモニターさんが書いていらした着衣のままでのいちゃいちゃとかペッティングとかもちょっとしてみたかったし、楽しい脱がせあいっこも思いついたけれど、先生の方が自然に脱がれたので、私も服は自分で脱いでしまいました。ここで話はそれるのですが、例によってM気のある私、好きなシチュエーションに、男性は服を着てて自分だけ下着とか裸にされるのに憧れたりしています。さて、話を戻して、服は脱いだもののブラとパンティーはつけたままでいました。素っ裸もいいけど、私は何らかのものがカラダについているのにセクシーさを感じます。ランジェリー、ガーターベルト、ストッキング、靴、長襦袢、ネックレス、ブレスレット、アンクレット等など。でもこの場合はそれもあるけれど、先生の本に、白などの明るい清楚な下着がいいと書かれてあったので、いつになくその手の可愛らしい下着をつけていたのと、そして勿論先生に脱がせてもらうことを味わいたかったから。

その後、お風呂が大きいのでお湯が溜まるのに時間がかかったことと、私が待ちきれない様子なのを察してか、先にペッティングが始まると、私はたちまち身をくねらせて声を出してすごく感じ始めてしまって…、先生にパンティーを脱がせてもらうずっと前からもうめちゃくちゃ濡れていました。そのままシャワーも浴びずに全裸になりアナルやあそこを愛撫されて…。過去3回はそこに至るまでにシャワーを浴びていたから、今回もそうかなと思っていたのですがその日は違いました。それにその日私は踊りの稽古が2本あり、汗をかいていたのに、シャワーはもちろんウオッシュレット(私は普段はもしかするとシャワーを浴びないで行為に至る可能性を考えてデートの時には先にウオッシュレットで洗っておくのです)もしていなくて、だから恥ずかしいのだけれど、でも止められないくらい気持ちよくてどうしようも無くなってきてしまいました。けれどやはりオーラルのことも考えるとやはり…、というのでおそらく30分くらいのそういう行為の後にやっとのことで小さい声で「シャワー浴びたい」って言いました。

それで先生とバスルームに行くと、そのお風呂にはラブホならではの照明設備があって、普段の私なら、というか今までの私なら、というか先生とでなければわざとらしいよね~と笑ってしまうようなその照明の演出がものすごくロマンティックで、とても効果的だったのです。薄暗い明かりの中、大きなバスタブが赤や青などの色に順々に怪しくボーッと照らし出されるのです。先生とまずは向き合って、そして後半は背中を向けて座りましたが、その間中、からだ中をくまなく、そしてもちろんあそこやアナルも愛撫していただきました。

私は体が柔らかいので脚を大きく開いて幅の広いバスタブの左右のふちに両足をそれぞれに引っ掛けて、お湯の浮力に身をゆだね揺らされながら先生の最高のテクニックを受けるのは本当に格別でした。怪しく色が変る照明と揺れている自分の身体、反響するよがり声と喘ぎ声、荒くなる息使いやため息、などがとても幻想的でまるで夢の中を彷徨っているようで今までに無い程のすごくセクシーな気分に。こんなロマンティックな世界は初めてで、すっかり雰囲気に酔ってしまいました。やさしい愛撫に、少し強めのスポット的な刺激、それに更には、お湯に浮かんでいることと両足をバスタブに引っ掛けていることを利用して、クリトリスや膣の中やアナルだけを支点に先生の指で刺激をしてもらうというお湯の中以外では不可能な特別な性技を受けて、ホントにとろけそうに感じてしまいました。そして更にまた、2人の動きによって生み出されるお湯の波さえもが、私の敏感になっている肌を愛撫するのを感じていました。すごくセクシーな感覚と共に、幻想的で夢の中のようで、それでいてものすごく深いリラックス感が得られました。この新しいバスタブでの戯れは完全に私を夢中にさせ、私は前回のモニター時のベッドでの時間のように、すっかり我を忘れていました。これは先生の意図したところか偶然の産物かはわかりませんが、私の方は今後もこの遊びは是非取り入れたいと思うほど、お気に入りになってしまう素敵な経験でした。

さてお風呂で充分に遊んでいただいた後は再度ベッドに。一応愛撫はまた始めから始まるのですが、当然この場合はもうそれほど時間は要しません。パウダーでの愛撫もほとんど必要ないほど私の身体はとても感じやすく敏感になっていました。勿論程なく濡れてしまったことは言うまでもありません。お風呂の前にもこの時にも、先生のタッチはいつでもとても洗練されていて、かつテクニックだけでなく愛情にも満ちています。アダムタッチは緊張している女性をリラックスさせオープンにさせるのに好いとされていますが、充分に感じてきてからでもやっぱり余計に凄く感じます。

優しくされているというリラックス感が前者なのでしょうが、感じてきてからのは、更に更に感じさせる強力な愛撫ともなりえるのがアダムタッチの素晴らしいところです。ともかく身も心も感じていたら、こんなソフトなタッチでも、いえソフトなタッチほど、弾けるくらいに全身が敏感になっていますから。それにじらされている感じもたまらないです。じらされる感じはスクラッチの時に強く感じます。私の肌の下に、身体の奥に在る感じさせて欲しくてたまらない処、感じたくて仕方ない存在、私の情熱がある事を、身を焦がされるほどに感じているのに、肌や身体の表面だけを引っ掻かれることがとてももどかしくて、更に強くその事を味わされてしまう。スクラッチの度に泣きたくなるほど切なくてたまらなくて、よがりながら身をくねらせて悶えてしまいます。時々先生が、「そんなに感じるの?」みたいに笑うと、もう先生に甘えたくて、情熱の全部をさらけ出してぶつけたくて、貪欲に愛して欲しくてどうしようもなくなってしまいます。セックスってほんとうに甘美。肉体の快楽と魂は繋がっているに違いないと思えます。揺さぶられている魂を感じずにはいられません。どうして皆こんなに素敵なものを、蔑ろにするのか本当に不思議。それでも、私の反応があまりにも大きかったせいでしょうか。後で食事の時に先生から、「あれは本当なの?」「あれだけであんなに身体が感じているの?」「どういう感じなの?」と尋ねられました。とてもとても沢山の女性を愛撫してきた先生がそんな質問をされるので、私ってその中でも特別に反応がものすごいのかなぁ~なんて思ってしまったけれど、それは勿論演技やオーバーな表現では無いです。どうしても声が出てしまうし、身体をくねらせてしまうし、ペニスが挿入されて快楽を貪ろうとする時と同じようないやらしい腰の動きも止められません。その時には先生に「それは身体でなく脳が感じているの」と答えたのですが、セックスにおいて身体と脳と魂と、なんて厳密には分けられません。強いて言えば、絶対に声を出してはいけないとか、出さないようにしようとか思えば、もしかしたらなんとか出さないではいられるかも知れない。でもそれはとてもとても不自然。きっと不自然過ぎて感じなくなってしまうかも。試してみないことには判らないけれど。ともかくとてもとても欲しいって感じているんです。何を欲しいのかって。男性、ペニス。それは勿論、肉体レベルではそうでしょう。でもそれだけじゃない何か精神的なものの方がもっとある。男の人にはこういう感覚は無いのかしら。どうなんでしょう。今度アダム先生に伺ってみたいと思います。

前回より全てにおいて感度は高まっていました。それは私自身が自分に対して、アダム先生を好きだと思う気持ちをセーブすることを止め、その気持ちを自覚することを許可して受け入れたというところが大いに影響したように思います。もちろんあんなにいい事を先生に教えられてからの2ヶ月のセックスレスによる持て余している情熱と欲望、そしてもしかしたらこれが先生と最後かも知れないという想い。先生にモニターはあと1回だけなのかどうか何度か尋ねたけれど答えてはいただけなかったので。ということはこんなに素敵なセックスはこれで一生無いかも知れないなどという想いもそこにはありましたから余計に燃え上がってしまったのだと思います。それくらいに私が今までにしてきたセックスと先生のとは違っているのです。

食事の時に先生に、「前より感じた?」と聞かれて「肉体的感度は高まったと思うけれど、前回より先生のことをもとスキになっていた影響が大きそうだから、科学実験のように他の条件を一定にして時間や回数の経過に対する身体の感度を比べることは不可能だと思います」と答えました。理屈っぽい私に対してか、「好き」と臆面も無く言う私に対してか、先生は笑っていらっしゃいました。

ですが、より強く感じたにもかかわらず、前回と違って今回は、体位の移り変わりをほとんど全て記憶していました。自分が自由に動ける体位になるとどうしても腰を激しく使ってしまってすぐにイってしまします。もう少しセーブしてゆっくり楽しみたいと前回のレポートに書いたのに、私はまだまだアダム先生のスローセックスにはまだまだ不慣れなコドモって感じがします。快感のレベルが比較的低い体位では、楽しみながら余裕を持って挿入の心地よい感覚を味わうことが出来て、これがまたとても好いものです。膣の中のあらゆるスポットを可能な限りの様々な角度で刺激してもらってすごく満たされた感じ。好きな人のペニスが自分のしかるべき場所、いつも満たされていない、いつだって満たして欲しいその場所に収まっていてくれることをゆっくりと味わえるのは最高で、スローセックスには欠かせない大事な要素だと思います。などとちょっとゆっくりしていると先生に素早くくるりと体位を変えられて、途端に強い刺激と快感を与えられて、絶叫し続けてしまったり。もう私は先生のおもちゃみたいなもの。とても幸せな感じをかみ締めてしまいます。切なさという要素を切り離せば、男性のリードでダンスしているみたいにとっても楽しい感じです。そして多分、ダンスでも上達すれば切なさも表現したり、味わうことが出来てくるのだと思います。

そして今回は前回と違って行為中の視覚も聴覚もはっきりとしていて、行為後にも記憶していました。自分が見ていた景色、自分の出している声や息遣い、絶叫などもはっきりと意識し記憶にも残すことが出来ました。絶叫に関しては、先生がおっやる通り、家や普通のホテルでは近所迷惑になること間違い無しのものすごい声なのですが、快感のレベルが上がっているにもかかわらず、ちゃんと自分はココにいるという存在感のようなものを感じていて、そのことが嬉しくて、感動で鳥肌が立つのを感じました。これはまたしても全く新しい素敵な経験でした。今までの感覚ですと、これだけ感じたら何がなんだか判らず記憶も無くなるだろうと予測され、レポート書くには撮影が必要かなどと前回の行為後には言っていたのですが。まあ、勿論撮影したものを後で見れば新しい発見、自覚していなかったことが山ほど見つかるには違いないですが、それにしても前回とは違って、自分の身体と魂の存在を感じ、確認することが出来るような感覚がはっきりとありました。それはまるで、自分の身体の感覚、眼に映っているもの、自分の声や呼吸を体験し楽しんでいる自分自身と、それとは別にそれを観察し楽しんでいるもう一人の自分がいるかのようでした。その感覚がどんどん高まっていき絶叫していく先に、眺める自分が無くなる時があり、それがイク瞬間となるようです。イケない時にはセックス中に自分の存在をこれほど感動的に味わったり確認したりしたことはありませんでした。アダム先生との1回目のモニターの経験でやっとイク感じを味わったのですが、その次からセックス中に自分ともう一人の自分とが出てきたというのは、私にとっては興味深いことに思われました。今まではひとつの自分しかなかったからイケなかったのかな、などとちょっと訳のわからない感じのことを考えてしまう程です。

これは、前回のモニターから約2ヶ月、その間セックスレスで性欲を持て余したり、ただただ先生に想いを馳せたりしている間に、私の脳や魂の中で何かが熟成されたような気がします。例えば、ある日何度やっても上手く出来なかったダンスのステップが、その事から一週間ほど離れて過ごしたにもかかわらず、次の機会にはいきなりすっと出来てしまうようなことってあると思うのです。そしてその後家に帰って気持ちよく泣き終わってから思いついたことは、次回は相手=アダム先生の存在そのものを感じてみたい、感じよう、もしかしたら感じられるのではないかしら、などといったことでした。

今回はキスもしました。前回は私からキスしたくなるのを抑えていたけれど、他の方のレポートにキスの記載があったので、今回は本能の赴くままに私から。先生からというのは無かったけれど、私からキスしたときには先生は優しく受け止めて応えてくださいました。嬉しかったです。もし先生からキスされたら、もっと感じて深い官能の世界に引きずり込まれていき、もっと先生を好きになってしまうと思いますが、やはりそれはタブーなのでしょうか。ともかく私はプロである先生のご判断に従うだけと思っています。

今回のクンニはまた今までのとは違っていましたし、一層ねっとりとしつこい感じで大好きでした。先生にも後でそのように言われました。でもいくらでも欲しい自分が少しこわいです。オンナってほんとうにエッチですね。

あまりに感じまくり、イク私に先生は、もうエンドレスだよね、と笑いながら言われて、それで私もホントにそうだなって思って、先生にイッてもらってフィニッシュすることに同意しました。やっぱり大好きな人に射精してもらうのはほんとに嬉しい。先生のは特に他の男性のと違って表現も豊かで感動的です。私はピルを飲んでいるから、ホントは直に膣の中に出してもらいたい~、(注:先生の子供が欲しいと言う意味では無いです)なんて思ってしまう。でもそれはダメなことは判ります。ピルといえども避妊効果は100パーセントではないし、私がそういっても先生に対しての証明は出来ないのですから先生のお立場を考えれば当然無理なことですから。

終わった後、汗をかいて濡れている髪を撫でてもらい、おでこも撫でてもらったのもとても嬉しかった。セックスって動物的に快楽を貪ったり、女優のような気分にもなったり、切なくなったり、自分の存在を確認したり、意識を飛ばしたり、癒されたり、泣いたり、コドモのように甘えさせてもらったりと、本当に盛りだくさんで楽しい行為です。

男性側の細かいテクニック的なことは、サルサやアルゼンチンゴ同様、男性にお任せ状態の私にはよくわからないけれど、とにかく先生が他の男性と違うのは、ゆっくり、やさしい、ていねい、愛されていると感じられる、大切にされていると思える、ツボを外さない、刺激が強すぎない、早すぎない、移行がスムーズ、と言うことです。文にまとめるとこんなに簡単な表現になってしまうのですが、それはもう月とスッポンほど違っていて…、これからもしかしたらめぐり合える、いえ必ずめぐり合いたいパートナーにどうやってそんなふうになってもらえばいいのかしら。「アダム先生の本とDVDで勉強してスクールにも行って」と言ったらどう思われるかしら。私はいつかアダム先生とまではいかなくても、こんなふうにセックスを楽しめる相手と出会いたいと思っています。その相手は理想的には、尊敬できる方、人間同士としても波長や価値観の合う方と考えています。アダム先生とたま~に会っていただいて、もしくは限られた回数の中で性的行為をしていただいて、そのことはとても楽しい事だからと言って、仮に2人が恋人のような関係や、それ以外の人間同士の付き合い、又はパートナーとなったらどうでしょうか。それははっきり言って未知数です。だから私は、場合によってはセックスを楽しむ相手と、それ以外で相性が合う相手とが違う場合もありえる、と言うかそちらの方がもしかするとより現実的かも知れないとも思います。どちらも探すこと、出会うことが今までの私にとっては難しく、縁が薄かったのですから、それを一人の男性に求めるよりは、分けてもよいと考えるのは間違っているかしら。などと考える今日この頃です。世間ではセックスだけのつながりはセフレなどというのでしょうが、その人達が本当に満足のいくセックスを楽しめているかどうかは疑問です。セックスが深くゆっくりと楽しめることは、もちろん前提に、ある程度はそれ以外の分野でも相性が良いことが必要条件となるでしょうが、そしてよいセックスをすればどんどん好きの度合いは増していくでしょうが、一体セックス以外の部分で惹かれ合う異性同士と、セックスの相性が良い男女ではどちらがより深い絆を築くことが出来るのか、私にはわかりません。良い相性、というのは不適切な表現かも知れません。よいセックスを出来る間柄の男女と言い換えたほうが正確でしょう。そして逆説的ですが、セックスによる深い繋がりの方がよりプラトニックなものに思えます。それ以外の分野での繋がりの方が、よくよく考えてみるとかえって即物的でマテリアルな場合も多々あるのではないでしょうか。

セックス以外のところがとてもよく合う男女でも、今までどおりのことをしていたのではアダム先生とのようなセックスは出来ません。やはり学習が必要なのだと思います。愛し合い尊重し合える異性同士が皆、アダム先生の提唱されるようなセックスをしていけたら本当に素晴らしいと思います。私は、男性が私を抱いた時に、アダム先生にされた時の様な感じ方をしたなら、きっとその男性は私のことを可愛いと思って、喜んでもっと私を好きになってくれるに違いないなどという思い込みをしています。あんなふうに愛されると女性は自分の身体と存在に自信を持ち、自分を愛おしく思えるようになります。同じことが男性にも起こるのではないか、自分が彼女をあんなふうに感じさせたのだという自信が男性にも、そして結果として二人の関係にも、いい影響を及ぼすのではないかしらという気がしています。セックスは肉体的快楽と共に魂の触れ合いです。ダンスと同じで。そして、いつでも私のたとえはダンスになってしまうのですが…、それはアダム先生がきっかけで始めたサルサの影響だけでは無くて、もともと私にとってダンスはライフワークなのです。好きあった異性がスローセックスを学んでいくことは、その過程自体が楽しいことではないかしらと思います。ダンスは上手くなって楽しみたいからその為にレッスンを積むわけですが、ではレッスンは楽しみに至るまでのつまらない修行かと言うとそんなことはありません。ダンスのレッスンはそのプロセス自体が既に楽しみです。少なくとも私の場合には。そして私にとって生きることはダンスでしたし、今もそうです。セックスも私にとっては大切なものです。セックスとダンスのコミュニケーション、エクスプレッションはとても似ていて重なるところが多々あります。ただ、ダンスはレッスンをしてステップ、軸、パートナーの扱い方、テンション、リード&フォローなど我慢強く習い練習するのに、セックスに対しては全くそのようには考えられていません。ダンスなら、誰も始めから上手く踊れなくても、自信喪失したり相手に不満を持ったりしないでお互いに練習に励みます。上手く踊れないカップルは練習し、話し合い、どうしたらうまくいくかなと研究するのです。セックスだって同じことだと思います。そして好きな者同士がセックスを練習していくプロセスは楽しめることではないかと思うのです。いきなり最高のセックスが得られなくても、愛し合おうとする男女なら相手を思いやりその過程を楽しめるのではないでしょうか。世間の人が聞いたらびっくりするかも知れませんが、私はセックスだって、プライベートレッスンを受けたり、カップルで先生にレッスンを見てもらうのもいいのではないかと思います。

次回には先生がペニスの愛撫法を教えてくださると言ってくださいました。先生は以前に、女性は感じるだけでいいとか、男性はそれで充分に満足するとかおっしゃっていらしたし、でも好きな子にはペニスの扱い方、女性からの性技なども教えるともおっしゃっていたので、私ももしかしたら先生に少しは気に入っていただけているのかなぁ、なんてまた都合のいい解釈をしそうになってしまいます。私は劣等生かも知れないですが、真面目に一生懸命習いたいと思っています。そして先に書いたように、自分だけでなく先生の存在を、魂を感じたいのです。もし可能なら先生の行為中のお顔を拝見してみたい。今回はとっても感じさせてもらいつつも、時々先生の方を見たのだけれど、先生はともかく一生懸命して下さっていて、どんな表情をされているかなどはわかりませんでした。もしできるならば先生と情熱的に見つめあいたい。でも見詰め合うのは恋人同士の特権で私には許されないことかしら。セックスで見つめあえないなら、いつかサルサで先生と情熱的なアイコンタクトを送りあいたいと思います。もしセックスで見詰め合えないのならば、せめて先生の視線をもっと感じてみたい。それはつまり先生の存在を感じることに他ならないと思うから。

というわけで、前回のただ訳もわからず感じまくり、から今回は自分の存在を感じるように変化し、次回以降の課題は、先生の存在を五感とそれ以外の感覚で、できるだけたくさん感じてみたいと思っています。楽しい時間はあっという間で、今回は前回より長い行為時間も、前回より短く感じられ、食事時間も同様。先生がちょっとサルサを踊りに行こうかと言ってくださったけれど、お互いに時計を見るともう12時なのでびっくり。遅いので又今度ということになりました。先生はあの後一人で踊りに行かれたのかも知れませんが…。

前回と同じようにホテルを出てから渋谷や六本木を歩いていると、先生はずっと手や指で私の背中やお尻を触ってくださいました。まだまだ余韻の強く残るカラダにそうされると、私は凄く感じてきてしまって、足元が崩れてしまいそうで歩くのが大変になるのです、それを見て先生は笑っています。どうしてそんなことしてくれるの。どうして笑うの。でも私にはそれがとても心地よく嬉しい。先生も同じように楽しくて嬉しいのだといいなぁ~。

最後にタクシーに乗っていよいよお別れという直前には恥骨も押されて…、それは一人でかえって行く私にとても切ないけれど素敵なお土産になりました。レポートが遅くなってしまい、そして上手く文章に表現できない自分がとてももどかしいです。またモニターの機会をいただければ本当に嬉しく思います。