アダム徳永 公式サイト スローセックスを学び愛に生きましょう。スローセックスはアダム徳永が提唱する究極の愛のメソッドです。

アダム徳永公式サイト
メールでのお問い合わせはこちら

アダム徳永 公式サイト スローセックスを学び愛に生きましょう。
スローセックスはアダム徳永が提唱する究極の愛のメソッドです。

メールでのお問い合わせはこちら

アダム先生には今回のモニター以前に一年前から2回の不感症セラピーでお世話になっていました。私は不感症ではなくて初体験の15歳以前から性欲を自覚していましたし、性に関しては開放的でエッチは大好き。もともとそれほど身体が強いほうではないのと忙しい日々で体力不足を感じながらも、性欲を持て余しているほうなのですが…、セラピー受講の理由は「イッたことが無い」という事でした。男性経験数は、結果的に一度限りとなった人から何年か付き合った人まで、何十人もあります。しかし一度も「イッた」と思えない。しかしながら私とセックした男性のおそらく7割は私が「イッてる」もしくは「何度もイキまくっている」と思っていました。それはモチロン私が演技をしていたからです。「イッた?、イッたでしょ、今」とか「お前、何回もイキまくってたなあ」と嬉しそうに得意げに言ってくる相手に「いいえ、全然」とは答えられなかったのです。理由は彼に嫌われたくない、がっかりさせたくない、喜ばせたいから。男性ってあまりがっかりさせると自信喪失して恋心まで醒めてしまう人も多そうだから。それに好きな彼と性的な行為をすることは大好きだし、イケなくとも充分快感はあるわけですから、彼に対する情熱と悦びの表現として少しオーバーに声をだしたり身をよじらせてみたりすることは私にとっても楽しいことで、決してすごく無理をしてるっていうわけではなかったですし。私は良く濡れるほうだからそれも相手の誤解を大いに助けました。潮を吹いたりしたことも何度かあって、それでも私はイッて無いんだけどこれなどは男性は大喜びであります。彼が私をイカせたと思って喜んでくれてる事は二人の絆を深めるのに、ある面非常に問題ともいえるでしょうが、しかしある面では大変有効であったと思います。問題というのは彼が調子に乗って自分は相当エッチが上手と自惚れて、私が簡単にイクと思いこみ、段々と益々セックスが簡略化されていったり、更には他の女に対しても自分の腕前を過大評価して自信たっぷりに振る舞い、もし彼女が感じなかったりすると、問題は自分ではなく女性の方にあると思い込んでしまうようなことに、つまりそういう間違った思い上がりが世の中に蔓延していくということです。そして私の方では、やはりイケない自分には身体面もしくは精神面で何か大事なものが欠落しているのではないだろうかという思いがいつも頭から離れることは無く…「イッたことが無い」=「オトナの女では無い」=「セックスの本当のところを理解していない」=「セックスに対する発言権無し」というようにコンプレックスを持ち、自分を卑下していました。女同士の会話の中でも「イク事を知っている」、「イッたことがある」と自慢する者は多くいても(そのうちの何割かは嘘をついていることはモアリポート、キンゼイ白書などからも明らかなのですが)「私、イッたこと無いの」と公言できる女性には今までに数人しか会ったことがありません。普段何につけてもオープンであけすけで堂々としている私ですらその話題の時には黙って聞きながら、まるでイッた事があるように振舞っていましたから…。又、何人かの男性からは「オマエはホントに理屈っぽくて頭でっかちで可愛げが無いオンナだよな、きっとセックスでもイッた事が無いんだろ」なんて言われてました。まあ、おそらくそういうデリカシーの無い言葉を吐く人ほど、女性の演技に騙されて自分はオンナをよく知っている、自分はエッチが相当上手いなどと自惚れているおめでたい人が多いように思えるんですけれど。
という訳で私はアダム先生の存在を知り、HPを拝見すると何のためらいも無く早速に不感症セラピーに申込みを入れました。一日に3回もセッションがあるのに、2ヶ月先まで予約が一杯だったことを記憶しています。こんなにニーズがあるんだなあって改めて性に関する男女のすれ違いの多さを実感してしまいました。私にエヴァのことを紹介して下さった男性は信頼できる方で、既にエヴァの男性性技講座も熱心に受講されていましたので、申込みに当たって「怪しげ??」という不安は全くありませんでした。初めてアダム先生からお優しいメールを戴き、「申込みをされるまでにどれだけ躊躇し迷われたことか心情ご察しいたします。今回の勇気に対して…」などと拝見したときには、全く恥じらいも迷いも無い自分のことを、私ってやっぱり変わり者なのかな??、アダム先生のところを訪れる女性の中では珍しいタイプなのかな?とおかしく思ったことが昨日のことのようです。
アダム先生との初めのセッションでは、性体験について問診みたいなことがあり、このモニターレポート作成の際の参考事項にもあるように思い出に残る嫌なセックス経験についても尋ねられました。私の場合は一番男性との溝を感じたことは避妊に関してです。男性は一般に避妊を嫌います。私には妊娠の経験がありますが、出産経験はありません。それがどういう理由でとかそのことに関する私の想いや苦しみについてはとても簡単に書きつくせるものでは無いですし、ここでは話がずれますから省略します。よく結婚外の子どもをつくることなんて子どもが可哀想だから絶対に堕ろせ、なんて真面目な顔で言う男性の発言を耳にしますが、私は貴男が可哀想なのは子どもじゃなくてあなた自身でしょ、なんて意地悪なことを思ってしまいます。現に私は結婚外の子どもだけれど両親には感謝しています。何故こんなに大事な問題、母体の健康に、命に関する問題に対して、男性はあまり深く考えようとしないのかが大きな疑問でした。他の場面では知的で成熟しているかに思える男性でもこのことについては無責任で自己中心的な人が多々いらっしゃいます。コンドームを途中からしか装着しなかったり、「安全日だろ」とか勝手に中出しされてしまったり…。きちんとできる人は少数派。「気持ちよく無いじゃん」「大丈夫だろ」「俺ゴムって嫌いなんだ」「やっぱ中に出してこそ結ばれた気がする」などと堂々とのたまわれるのです。自分のDNA、種をばら撒くこと、それが男の本能だそうですが、その割には妊娠したらどうしても堕ろして欲しかったりするのは何故。これは具体的に説明しなければわかってもらえないだろうと新しい彼氏に勇気を出して自分の中絶経験を告げました。ええ、ここは全女性を代表して、まず私という個人レベルからこの問題に立ち向かわなければいけないんだって。でも相手はそれでも理解しません。そいつには許して俺には避妊させるのかなんて言われたり…、中出しされてしまって心配のあまり毎月きちんと計ったように来るはずの生理が来ない、つまり想像妊娠状態になってもバカにされただけでした。はじめは何とか男性にわかってもらおうとしたり、この人ならきっと理解をしてくれるなどと期待したり、腹が立ったりしていましたが、次第には妊娠しない性である男性にはこの問題は永遠に理解してはもらえないのだという諦めの境地に到達しました。だから私は、北朝鮮に次ぐピル最後進国日本で低容量ピルが解禁になる以前から副作用の大変強い高容量の治療用のピルを飲んでいました。自分の身体と心は自分で守るしかないと思ったのでした。けれど通常は、私はピルを飲んでいることは相手にも周りの人にも告げませんでした。日本はその点では遅れていて、「何故ピルなんかのむのか?」「よほど遊んでいるのか?」「ステディもいないのに何故?」みたいな評価がその昔は勿論、現在でさえも多いからです。だって皆セックスしてるでしょ?ちゃんとした避妊してくれない男性多いでしょ?と私は不思議に思うのですが…。ステディがいなくてもそれに備えて飲んでいるのです。それにピルはたとえ低容量といえども副作用などのリスクの伴うもの、これを当たり前の女性の義務のように思われるのは心外です。男性達のあの避妊&ゴム嫌いから予想するに、彼らが又簡単に当たり前のように、オマエもピル飲めよな~、なんでオマエは飲まねえんだよ~、前の彼女は飲んでたぜ、なんて言い出さないとも限らないとも思いますから。
もう少し軽度の嫌な思い出といえば、ずっと憧れていた男性とやっと初めてのセックスをした後にお金を出されたこと。その時はショックで泣いてしまいましたが、私の仕事は水商売なんで、まあ仕方ないかなって思いました。そのことがものすごく私を傷つけたわけではなかったです。私はお金では寝ないですが、男性にとったら私は水商売のオンナでお金で済む都合のいい相手だとの解釈もあるんだと思います。それに私は何もお金と引き換えにセックスをする男女を軽蔑もしないですし、その方の自由だと思います。あとは、やはりある相手と初めてのときに、いきなり使い古しのオトナのオモチャを出された時は、しらけたし引きもしましたし、なんてロマンティックじゃないんだろうってがっかりもしましたが、まあ好きな相手でしたし、なんと言っても相手はやる気満々なんで、そんなに目くじら立てて怒るほどのことでもないかなあ?なんて気楽に受け止めるように努めつつ、結果的にはまあ気持ちよかったですし(笑)。
でもやはり恋愛関係において初めからオトナのオモチャっていうのを喜ぶ女性は普通はあまりいないんではないでしょうか。最初からセックスをまるでスポーツとかみたく肉体の快楽だけを求める人たちもいらっしゃいますし、そういった人たちのことを全く理解し得ないという程でもないすし。そういう類の性欲もオンナだってあるし、ある程度経験をして快感を知っていたら物理的刺激だけでも身体は反応してしまうでしょうけれど。私はもっと欲張りで贅沢。アダム先生のお言葉を借りて言えば肉体を持って生まれた魂である私達への神様からの最高の贈り物、セックスというのものは、プラトニックな想い、相手への憧憬の念が高まっていき、精神と肉体が結びついた究極の喜びの感覚の中でするのが本当だと思い、日々そのようにありたいと願っているのです。アダム先生は勿論オモチャなんかとは比べ物にならない上級のテクニシャン。それは言うまでも無く当たり前のことで、そんなことを申し上げるのは先生に対して失礼なのですが、そうではなくて私が言いたいのは、世の中にはオモチャに負けてしまう程度のテクニックの男性も沢山いるわよっていうこと。そのほうが多いくらいじゃないかしらってことです。でもテクニックよりなにより凄いのは、先生は初めて会ったときから相手の女性に安心感を与え、恋人とのような、いえ恋人以上にくつろいだ気分にさせてもらえることです。それは先生が本当に女性全体を大切に尊重して可愛く思ってくださっているからだと思います。先生のような方は女性だけでなく、全ての存在や事柄を大事に出来るとても謙虚で思いやりにあふれた方だと思います。モニターの後、食事にご一緒させていただき先生の食生活を伺った時、そのシンプルさに驚きました。「だってそんなにいただかなくても充分だし、それで足りるのに申し訳ない」というようなニュアンスのことをおっしゃって、そのお言葉に何かとても奥深いものを感じずにはおられず、感動と共に自分のことを反省させられました。アダム先生のようにテクニックと愛情をもっていれば完璧ですよね。というか、神様からの最高の贈り物の真価を味わうためには、結局のところ両方無ければならないのでしょう。しかしどちらが、といえばそれはテクニックより愛情、思いやりでしょう。これがあればテクニックは後で身に着けることが出来ます。逆にテクニックだけで、しかも独りよがりの勝手な思い込みで間違ったテクニックに胡坐を書いている場合には、特にその先には人間らしい交流、魂のよろこびは何も無いから。例えばどんな芸術も表現する中身、ハートが無ければただ技巧だけでは人を感動させることが無いように。
話をオモチャに戻しますと、慣れてきてから遊び感覚で小道具、アクセント、スパイスとして使うのはいいかも。でも先生ならそんなもの全く必要ないの。エステで言えば機械や道具に頼らない熟練したエステティシャンの極上のハンドテクニックのようなもの。下手なマッサージならマッサージ椅子の方が勝つけど、機械なんて結局上手なマッサージ師の足元にも及ばないって事。そうするとアダルトグッズはせいぜいマスターベーション用ってとこかな~なんて書いては、自身のマスターベーションの幼稚さ、レベルの低さを露呈してしまいましたようです。巷では、女性のマスターベーションは自分の身体をよく知り、セックスでより感じる身体になるためにもとても大切、練習しましょうなんて奨励されいます。アダルトグッズでなく自分の手とイマジネーションによってゆっくりとスローセックスならぬスローマスターベーションをすべきなのかも。そんな講座や書籍、もしくはDVD等もエヴァさんから提供していただけたらいいなあなどと思います。
男性誰しもがすぐにアダム先生のようになれたり、女性誰しもがアダム先生のような相手と付き合えるわけでは無いですもの。男性と同じく女性にも努力は必要だと思います。でもダンスと同じでやはり主導権は男性に持ってもらいリードされ教えられたいというのも女心じゃないでしょうか。生意気で理屈っぽいと言われることの多い私ですが、彼氏に対しては対等ではなくて、彼の可愛いペットのような存在でいたいといつも思っています。
それからアダム先生との最初のセッションで聞かれた私の男性経験のことをここでもう一度ざっとまとめますと、数が多いのでいろいろなパターンがありましたが大体3種類に分類できます。まず、私の様子に関係なく、前戯3分挿入2分、5分で終わってシャワー直行なんていう超クイックコースの人達。私の身体って、この人にとっては乳首とアソコだけしか価値がないなのかしら。キスと乳首をなめて濡れているのを確認したら挿入していいと思ってるの。私の膣は彼の精子の受け皿、トイレみたいなもの。私の身体ってそんなに魅力無いのかしら。乳首だけちょっと刺激されるのは私のバストが小さめだから。バストが大きかったら胸全体も対象になるのかな。などと情けない気持ちになりながらも、それでもプラトニックには好きだったりしたけれど、やはり後で振り返ればこれ程ありとあらゆる真偽両方の情報が溢れている時代にそういうセックスしか出来ないような人は、結局自己中心的で成熟度に欠けることが判り、最終的にはセックスが理由ではなく相手の性格や人格に、物足りなさ、開かれていなさを感じて別れることになったようです。
次には大体全行程10分から20分くらいの、一応私をイカせ、満足させている、自分は決して射精だけではなく相手の事をちゃんと満足させていると思い込んでいる人達。誤解もはなはだしいという意味では前述の超クイックより性質が悪いと言えるかもしれません。
それから私にとってある程度満足度の高い相手、つまりまあまあ時間をかけての前戯とそれなりの挿入時間に後戯もありの人達。これ位の相手だと私もまあかなり楽しめます。ベッドでゆっくりも勿論いいし、それがあるからこそたまには外の意外な場所でクイックに、なんていうのもありで、私ってちょっと依存症。もしかして淫乱なのかな。なんて思うくらいでした。30代の時に付き合った2人の相手に対しては、ホントに身体がいつも彼を求めてて、性器や胸以外のところを少し触れられてもめちゃくちゃ感じる、セックスとは関係ない話や議論をしてても眼を見てるだけで濡れてきちゃう、って言うような調子。これは相手がテクニシャンだったかというと全くそうではなく私のイマジネーションとパッションがそうさせていたようです。でも残念ながらその2人は私が夢中になると離れていきました。つまりふられました。私が情熱的過ぎて重たかったようです。
近年は何故かあまり相手に恵まれてはいませんが、それでもセックスについてはそれほど悪い思いは無く、唯一のコンプレックスは「イケない私」で、そしてそれより悩まされるのは「イカせた」と思い込んで頑張ってくれている彼との間に少しずつでも次第に確実に広がっていく溝の存在でした。さて演技での発散も充分にしたしそろそろ終わらせようかななんて。だって相手だって何度かイカせないことには終わらせたくないわけですし、何度かイッたふりして彼との協奏曲もそろそろ終わり、というのがいつものお決まりの
コースでした。たまに相手が何の魔がさしたのか気ちがいみたいに得意げにずっと止めないで続けてやってくれたりすると演技が段々苦痛になるのがこのタイプとの問題点です。なにしろ相手が期待してるのはずっともっともっと乱れる私ということですから。
しかしそんな私も一切の演技を止めてみたことがありました。私は好奇心旺盛で趣味はバレエに始まりダンスや踊り全般、いろいろなボディーワークにも参加したことがありますが、それらは皆精神世界とも通じるものがあり、突き詰めるとはっきりとした境目はありません。いろいろな場所に首を突っ込み自分探し、そうこうするうちに参加したのが、知る人達の間では常識のインドの有名なセックスグルであるOSHO(現在はもう亡くなっています)のワークショップで、此の時のリーダーであったイタリア人女性とのやり取りがきっかけで演技をしないことに挑戦してみたのです。これはアダム先生に出会う一年ほど前のことです。その時は彼氏がいなくて、最初にそれを試すことになったのは一年ほどずっと口説かれていたお客さんで(私は原則お客さんとは肉体関係を持つべきではない、少なくとも極最小限に保つべしと思っていますので)、お互いに惹かれあっており、私もずっとその人に抱かれることを想像していた相手でした。その人との初めての旅行での初めてのベッドインで、私は必要以上に身体をくねらせたり声を出したりすることを止めてみました。先にも書いたように演技は自分の彼に対する情熱の表現手段だから、やっていても楽しいのですがともかく止めてみたのです。より自然になろうとして。彼は高卒で元暴走族の頭だったりヤクザのオンナとつきあったりして、やんちゃだったと聞いていたのでもしかしたらと期待してたんですがさほどでもなく、そのテクニックは私の経験の中ではまあ中の下程度かと記憶しますが、しばらく、おそらく10分程の間それが続いた後に、彼は「気持ちよくないの?」とひとこと言って身体を離してしまい、その夜はそれで終わってしまいました。お互い、特に事業家の彼の方が仕事が忙しいこともあり2回目からは旅行は無理、それからというもの彼は全行程10分位のセックスをするようになりました。私もあせってちょっと感じている風を演じてみたけど時既に遅し。初めは彼なりにとても丁寧にしようとしてくれていたのに、少しの演技もしなかった私はやはり間違っていたのかなあと思いました。彼が今までに付き合った女性たちも私同様の演技常習犯だった可能性が非常に高く、そういう場合に、自分だけ演技しないのは損じゃないかとさえ思いました。でもこうやってまるで過当競争のようにして女性たちも自分達で自分達の首を絞めてはいるわけで、これこそまさに悪循環ということだと思います。
アダム先生の不感症セラピーが諸事情により中止になり、後々伺ったエヴァの女性カウンセラーの方からも、ナイーブな男性を励ましてやる気にさせ、さりげなくリードしつつ、リードされている風を演じることは、スローセックスに不慣れな男性をスローセックスの世界に導きスローに愛しあうためには必要不可欠とのご意見を賜り、私も初体験から27年間いろいろ経験してきて、多分そんなところが正解なんだろうなあと思いました。しかし男性というのはいつまでも子どもとはよく言ったもので、ホントにナイーブだし単純で、それにシャイでいいかっこしいなんだと思います。「僕凄いでしょ」「俺って凄いだろ」「ネ、褒めて、褒めて!!」って感じ。私など自分の容姿やセックスのテクニックを否定されたり、とてもペニスの大きくて痛いだけの男性に、「オマエのアソコ緩いんじゃないの」なんて言われたりしてきましたけど、そんなことにはくじけませんでしたが、男性だとすぐにペシャンとなってしまうのでは。それというのも女性は男性の所有物、アクセサリーというような捕らえ方は古今東西を問わずあり、女性はそれだけ男性より打たれ強くなっているのではないかと思います。話がそれてしまいましたが、2度のアダム先生のセラピーと1度の女性カウンセリングで今のところ私の得た結論のうちのひとつは、自分に大嘘をつくのでななく自然な情熱の表現としての演技、演出は目指すべきスローセックスにとって、現状においてはスパイスどころか、必要不可欠なベースなのでいかという事でした。
それと余談ですが、ペニスの大きいのが自慢でガンガン突いてくる人に緩いといわれ、普通ないしむしろ小さめ位の人に締まって気持ちがいいと言われることが何度もあったのですが、それは要するに大きくてがむしゃらに動かれてもただ痛いだけ、だから気持ちよくない、その結果締まらない、むしろ身体は自分を守るため大きさと刺激にに対応して拡がろうとするような気がします。サイズがなくても的確な刺激の方が気持ちいい、だから締まる、すると男性も又元気に堅くなるだから気持ちいい、と好循環になるような気がします。
もうひとつの結論。というよりも成果と言ったほうが適切でしょうが、それはイクことにはほとんどこだわらなくていいんだということにかなりの確信を持てたことです。結局私のカラダは2度の先生のセラピーでもイクことを経験しなかったわけですが、私は今までには全く考えられなかったようなすばらしく甘美な時間を味合わせていただいて、とても満足していました。女に生まれてホントにシアワセ~って感じで余韻が当分の間残っていました。2回目のセラピーの後で先生から、「こんなにエッチでこんなに感じられるんだから別にイクことだけにこだわることは無いよ。ある意味ではイクなんてたいしたことじゃないとも言えるし、実はもうイッてるのに、まだまだ私はこれでは駄目、もっと失神したりものすごいことにならないといけないと思い込んでいる人もいる。イク感覚は人によって様々だし、イキはしないものの最高の快感で自我を失うに近いピークモードがながーく続く人だっている。イク、イカナイは紙一重だしスローセックスのひとつの要素に過ぎない」との説明を受けました。説明だけなら半信半疑だったかもしれませんが、アダム先生に愛されて、女性として私はこんなに愛される存在でもありうるんだという貴重な経験をした後では、とても説得力がありごく素直に納得できました。いろいろと迷ってきたけれど、やっぱり自分も薄々そうかなと思っていたこと、つまり自然体で感情表現としての多少の演技演出を楽しむことは罪悪ではないし、イクことにはこだわらずに充分にセックスを楽しみつくすのがいいんじゃないかということ。
ところでアダム先生との初回のセラピーでは最初は「私のカラダはアダム先生でも駄目かもしれない、つまりイケないかもしれない」と不安に思ったりもしていましたが、緊張はあまりしませんでした。そのわけはどっちみち今までイケてないんだから今更どうってことないという思いと、私は単なるクライアントで先生はプロ、恋人ではありませんし素人でもありません。つまりこれは医者と患者、カウンセラーとカウンセリングを受ける人の関係と全く同じ事で、プロといえど全知全能の神ではないわけだし、お互いに正面から誠意を持ってテーマに取り組み、その結果があまり満足でないものであっても精一杯試してみたことに意味がある、場合によっては次の成功へのステップ、貴重な経験かもしれないしと思っていましたから、妙なリラックス感がありました。結果はかなり実りのあるセラピーで、その後すぐに2回目の申込みを入れても、やはり2ヶ月ほど先でした。2回目でもホントにオンナに生まれた幸せを堪能させていただき身も心も満たされました。でももともと理想が高く、ゆっくりと深く愛し合えるパートナーを熱望しながらもなかなか出会えない私、この2回のセラピーで更にそのハードルを高くしてしまったとも言えます。だってアダム先生を知ってしまったんですもの…。判ったこと、救われたこともあったけれど、自分の可能性を広げていただいたけど。でもどうしたらいいんでしょう。幸せな余韻は当分続きましたが渇望感はずっと続いてしまいます。それに2回目のセラピーの後、一通りの結論に達した後、私はもう先生に抱いてもらうことは勿論、お会いすることもできないのかなとかなり寂しく感じました。その時に男性性技講座があるなら、私も男性に対してどういうキスや愛撫やフェラをしたらいいかなどを続きのセラピーで指導していただけないでしょうかとリクエストし、先生がイエスともノーともつかない態度でいらしたことを覚えています。
ですからモニター制度を知ったときには思わず飛びついてしまいました。メールで申込みをして、モニターの日程は一ヵ月後と決まりその間私はずっとその日が楽しみで比較的ご機嫌で過ごしました。しかしながら先生にもメールでお伝えしたのですがセラピーよりモニターの方がずっと緊張しました。今度はクライアントでなくモニターなのだから役割と責任がある。それに1回目、2回目ともに先生にはメロメロにされていたけれど、決して先生に恋愛感情を持ったり勘違いをしてはいけないんだ。私には情熱的なところも在るけど、一般的には表面は冷静でクールなタイプと思われることも多い。だからモニターとして採用していただけたのかも知れないんだからしっかりしなくちゃ、などと思いました。
2回のセラピーのときにもモニターのときにもいつもアダム先生の印象は優しく上品でとても落ち着いていて自然体でいらして、そして清潔な感じ。3回目のモニターの時には喫茶店で待ち合わせましたが、緊張しながらもとても懐かしくほっとしました。実はその日は朝からあまり体調が良くなくて大丈夫かしらって心配だったのですが、アダム先生にお会いした瞬間から急にモヤが晴れたようにすっきりとしました。何か先生が醸し出していらっしゃる気とかオーラみたいなものがあるのかもしれません。週刊誌などによるバッシングの件も笑ってさらっと流されるご様子に、先生の大きさを感じもしました。そして「もう大方一年ぶりですね」と言われて初めてそのことに気づきびっくり。あれからもいつも理想の彼氏を探し続け、欲張りな私は忙しい毎日をキリキリと生きてきて、あの時からもうそんなに時間が経っていたとは。私はもう42歳。昔は40歳なんてもうオンナとして終わりに近いと言うか、多分ほとんど男性からは相手にされないだろうと思っていたのですが、今のところはまだまだもてています。勿論明らかに老いは忍び寄ってきているものの、若さを保つ努力はある程度しています。でもはやくいいパートナーを見つけたいとあせる気持ちは否めません。
ホテルまでのタクシーの中で、私はこの一年間の男性経験についてぺちゃくちゃと話をしていて、アダム先生はいつものように優しく聞いてくださいました。その内容は、まず前述の2番目のタイプ、つまり全行程10~20分で私をイカせて満足させていると信じているタイプの男性に苦しい恋をし、セックス前以外はキスもタッチもせず、終わった後はすぐシャワー、好きとも会いたいとも言ってくれないけれど、私にはいつもそう言わせたいタイプのその男性に、せつなく寂しい想いをさせられ続け、もういい加減に限界と感じて9ヶ月ほどの付き合いの後ちょうどひと月ほど前に自分から別れを告げたこと、その後一度だけフランス人の男性と一晩を過ごしてみたけど、私はロマンティックな恋を望んでいたけど、彼は過度のセックス依存症の為にかつての日本人の奥さんとも別ていれて、でも日本人女性の肌が好きで何人かのセックスフレンドの中の一人として私を誘っただけだったと知らされました。彼のペニスは私には大きすぎて痛いだけ、でも彼はそれがとても自慢、何時間も激しいピストン運動をすればいいと思っているような人。3Pやアナルもするとの事で、私はとてもついていけません。翌日から彼からのメールや電話は無視して過ごしたこと、なんて情けない内容ばかり。
一年もの間こんなことしていたんだなあって改めて思いつつ、先生がいつものように、「ホントにそんな男性ばかりでごめんね~」「今日一日は恋人のような気分で行きましょう」などとおっしゃるのを聞いていました。そうだとすると、こんな情けない、そして色気もない内容は決して恋人にするような話ではないんですけど、セラピーにおけるクライアントとしてスタートしていたので、なんだかこんな話をあらいざらい聞いてもらっているうちに場所は道玄坂のラブホテルに。アダム先生はやっぱり私を優しく包んでくださり、この一年の苦労から救われたようなほっとした気持ちになりました。でも前述のモニターだから「しっかりしなくちゃ」との意識は消えません。何をどうしっかりするのかって。まあともかく先生への恋愛感情をセーブすることと、ちゃんとレポートを書けるようにあまり夢中になってはいけないんではないかしら。でも一旦感じ始めてしまったらそんなこと無理じゃないかしら。一体どうしたらいいの。なんて事を廻らない頭で繰り返し思っていました。
ところで、部屋に入ってからのことをレポートする前に、私がアダムタッチのような洗練された、しかも心からの、丁寧で優しい甘美な愛撫をされた経験が以前にも一度だけもあることを話題に取り上げてみたいと思います。前述のように好奇心旺盛な私はダンスから始まって様々なボディーワークやスピリチュアルセッションにも参加していたのですが、ある時期一年間ほど『ビオダンサ』(ダンスムーブメントセラピー)というのをやっていました。ブラジル人によりイギリスで完成されたメソッドで欧米中心に今では世界数十カ国で行われています。もともと精神病患者の為に音楽と踊りが有効ということが解り、素晴らしい治療効果を得たのですが、これが欝症や自閉症や、そして全くの健常者にも良い効果をもたらすことが解り、あらゆるジャンルの音楽が用いられるのですが主として一番効果的なのはラテンミュージックとの事でした。様々な音楽に様々なテーマでいろいろなダンスや、ダンスのようなことを行うのですが、男女間だけでなく同性間でもアイコンタクトや優しい愛撫、時には眼を閉じて仲間やパートナーに身をゆだねること等はこのワークに於ける重要な要素です。これは部屋の中ですることが多いのですが、時々は森の中や草原、海辺やプールの中でも行われます。そのグループで2泊3日の合宿に参加した時のことです。其の時のメインテーマはセクシュアリティーでした。男女ペアで行うかなり過激なワークも多くて、合宿に来ているのは慣れている中上級者がほとんど。決められたセッションの時間以外にも自然とダンスセラピー的なスキンシップや踊りが始まることも多くあり、ある朝、午前中のセッション前に私が森につづく庭のような場所で横になってくつろいでいると、仲間のある男性がやってきて、自然に私を包むように抱いてくれ本当に優しく髪を撫で、顔を優しく触り、そしてゆっくりゆっくりととても繊細なタッチでバストと性器以外の全身を愛撫してくれました。着衣のままでしたが夏でしたから薄着でした。『ビオダンサ』の中では普段はありえないような、つまり恋人ともしないような優しいタッチでの時間をかけた愛撫が頻繁に行われるのですが、ここまでうっとりとリラックスできる素敵な愛撫は初めて。とてもプラトニックで甘美。それでいながらもというか当然というか私はその時にやっぱり濡れていました。心底安心できて涙が出てきてしまうほど。自分の恋人とこんな風な愛撫をしあえたらすごく素敵なのに。現実はかけ離れているって思いました。このときも幸せな気分は家に帰ってからも当分の間続きました。それと同時に満たされなさも。でも私はいつだって前向きに考えます。満たされなさには悩まされるけれども、目指すべき目標が出来たのだと思うようにしています。まだまだ諦めたくはないのです。このときの愛撫はセックスが前提でなかったからそれがかえって良かったのだと思います。セックスが目的、挿入が目的、イクのがイカせるのが、射精が目的ではなくて、もっと自分の、そして相手の奥から自然に湧き上がってくる何かにじっと集中してじっくりと感じて、凄くリラックスしたところから始まることは素晴らしい結果を産むみたい。恋人同士ならどんどんエスカレートしていって自然とセックスになるのでしょうが、初めからああしてこうしてそして挿入してという先入観が頭にあるとどうしてもせっかちになって、その大元にあるもっと繊細で大切なものを感じずにきてしまうような気がしてなりません。
アダム先生がまずは射精を目的とはしないセックスを提唱していらっしゃるように、それ以前に別にセックスしなくてもいいようなモードでの、微細で本質的なところからゆっくりと始めていけたなら、とてもロマンティックで奥深く素晴らしい経験ができるのではと思うのです。それに私はちょっとM気があるからか、そのじらされる時間が大好き。一般に男性はあまりに早急すぎます。それも2人の間の初めてのセックスでものすごい情熱に押されてしまったとか、何かの理由ですごく興に乗ってしまったとか、これで最後のセックスだからとか、つまりたまにならいいけど何時でもそれではつまりません。愛撫に感じてきてたまらなく欲しくなってきて、その時こそが、私はこんなにこの男が欲しいんだわ、この人のペニスがほしいんだわって思い知らされて、彼に対する自分の欲望を感じ味わい尽くせる貴重な時間。私はこの人のオンナでもう絶対に彼にはあがらえない、彼に征服されていく過程の悦びをもっとじっくり感じていたいのに、大抵の人はすぐに指を入れてやたらとただ激しく動かしたり、さっさと挿入してガンガン腰を振ってすぐに射精してしまうんです。私は大好きな人とはホントにゆっくりとしたいの。15分でも20分でもキスやフェラをしていられるくらい脳ミソが情熱的なの。逆説的だけれど、だからこそすぐにガンガン勢いよくっていうのは嫌なんです。もっともっと楽しみたいもの。
さて場所を道玄坂のラブホに戻します。普段はラブホに抵抗を感じて大体はシティーホテルや一流ホテルを使っている私だけれど、その日は全く抵抗なし。これからの時間が幸か不幸かは別として、その内容が充実していることはわかっているから。もしかすると一流ホテルやスイートルームなんていうものはセックスの内容のお粗末さをフォローするために必要なだけかも、なんて思ってしまいました。それでも、歩いていても部屋に入ってからも変にぎこちなく緊張している私を気遣ってか、アダム先生もホントに少しずつしかアプローチしてこられません。そんなところも先生のデリカシーなんだって思います。一緒にお風呂に入るまではカラダには触れ合えませんでした。こんなに固くなっていてはあまりいいモニターではないかもとの不安もよぎりましたが、一緒にお風呂に入ってやっとすこしリラックス。ホントはいきなりお風呂にザブンまでに、もっとなんとかしたかったんですけどネ…。
カラダに触れてもらっているうちに少しずつと言おうかか一気にと言おうかぎこちなさも解けてきてそして先生のペニスが勃起しているのに気づき、凄く嬉しくなってしまいました。もしかしたら私に仕事だけじゃなくて女性としての魅力を感じてくださっているのかしら。なんてついつい不埒な自惚れた考えがうかんできてしまいました。
お風呂から上がると、ベッドにうつぶせになってとやさしく言われて、パウダーをつけてのアダムタッチ。カラダの背面へくまなく愛撫をしていただきました。でも実は私、お尻にストレッチマークが沢山あるのがすごいコンプレックス。あるパートナーに見た目が悪くて嫌だ、萎えるよなどと言われてショックを受けたこともあるんです。それに若いときには結構自信があって鏡を見てするのも好きだった自分の体型も、40代になってもう随分と衰えてきていて、でも心配には及ばす、大抵の男は私を裸でうつ伏せにして背面全部を愛撫したりしないで、いきなり布団にもぐりこんでしまうけど、アダム先生はそうじゃないから。少し気後れしてしまい、この体型やお尻はモニターには不向きかもしれない、なんて考えが一瞬頭をよぎったのですが、すぐに意識的に消しました。1回目、2回目の時よりその日の照明は少し明るめだったみたい。それもモニターだからかな。でもアダム先生はきっと私がどんなでも受け入れて大切に愛してくださるはず、それを信じよう、それにリラックスして身をゆだねること事こそ、モニターの務めではないかしら。と大体そこらへんまでが私の思考の限界でした。それは時間にすればほんの僅かの間だったでしょう。私はすぐに先生のアダムタッチの魔法にかけられて、今までの考えなどどうでもよくなって、思考はどこかに飛んでいきました。リラックスと共に懐かしく甘く泣きたくなるような感覚です。で、その後段々と感じてきて来るにつけ、どんどんと冷静さがなくなってきてしまい、それから先のことはそれほどはっきりと順番を覚えているわけではないのです。だからレポート作成の参考項目にしたがって記憶をたどっていきます。途中から仰向けになり、又パウダー。多分仰向けになって、と言われたはずだけど言われた記憶さえないです。すべてとても自然な流れ。とても気持ちよくてしあわせ。もし大好きな人や大好きになってもいい人だったらこれだけでホントにものすごーく感じてしまいそう。でも先生は残念ながらそういう存在ではないから、好きになってはいけないから。ちょっとセーブされてしまうところは正直言ってあったと思います。
次の項目に乳首や胸へのタッチというのがあるのですが、申し訳ないですが特にその部分だけというのは覚えていません。私が自分のおっぱいに自信を持ち、そこに自分の女性性を感じて誇りに思っていたとしたらもっと記憶に残っていたかもしれないです。しかし逆に言うと、一般の男性のように乳首や胸しかさわらないのでなく全身くまなく愛撫してくださるから、全身を女性として認めてもらい大事に扱ってもらったという感じです。一般の男性のように強いタッチは記憶にありません。乳首を強く吸われたり噛まれたり、胸をわしづかみにされたりはありませんでした。それでも強い刺激よりもずっと満足できるのです。これは、そうですね、味の濃さでごまかした料理と素材をそのままで楽しめる料理との違いみたいなものとでもたとえましょうか。一度などはSMめいたセックスで乳首を強く噛まれすぎて半分ちぎれてしまったこともありましたっけ。私はそんなふうに乱暴にされることに興奮を覚えてしまうという性質も持っています。でもちぎれちゃうのはさすがにNG、困りますよね。でも乳首は意外と回復力があり医者にかからずとも適当に又くっつきましたが。それとアダム先生独特のやり方にスクラッチ、引っ掻く方法があって、これがとても感じるんです。下腹部へのヴァイブレーションもそうです。決して痛いとか強すぎるとかではないのに、すごく刺激的で興奮させられます。もどかしい感じもあるのですが、かえってそれがカラダの奥から火がつけられていくようでステキ。普通の男性の強すぎる刺激も悪くはないし、興奮もしますけど、その先があまり無いように思います。あまり強いと段々感度は鈍くなります。強すぎる香水が嗅覚を麻痺させるような感じとでも言えばいいのでしょうか。同様に速すぎる愛撫やピストン運動も感覚を鈍くするように思えてなりません。それは労多くして功をあまりなさない、非効率的なものに思えます。しかしアダム先生のように出来る方は今までに経験したことはありません。女性もアダム先生みたいな人に出会った人の方が少なく、強い刺激を当たり前と思っているのではないでしょうか。そんな事を書いてる私も今までの強い刺激に感覚を鈍くさせられている一人であることが次第によくわかってくるのですが。またひとつ例えるならば、音量を大きくして音楽を聴きすぎて、細かな音がわからなくなったり難聴になったりみたいな感じだと思います。
次に、キスをしてどう感じましたかという項目があるのですが、ごめんなさい。ほとんど記憶にありません。あまりしなかったように思います。していたとしたら無意識にしてしまっていたのかも。でもキスって性器の結合などとは対照的に、最もプラトニックに近いところにある性行為のように私は感じています。昔の遊女や商売女はお客さんとセックスはしても、キスだけはしなかったと言いますよね。だからモニターの私が先生にキスをすることは許されないんじゃないかみたいな感覚が無意識に働いていたように思います。他のモニターの方のレポートや参考項目を拝見したのは家に帰ってからでしたので、なーんだ、キスしてもよかったのか~なんてとても残念に思いました。でもキスなんてしたらホントに好きになっちゃうから、後で寂しいじゃないとも思いますけど。
フェラチオやペニスへのタッチも同様。してよかったのならすればよかった。先生に「して」と言われたら下手だけど私なりに喜んでさせていただいたはず。でも私からそういうことはしてはいけないのかと思い込んでいました。ワンポイントアドバイスでもいいから先生にそのやり方やコツを直に教えていただけたら、すごく嬉しかっただろうなあって思います。
アナルへの愛撫はよく覚えています。意外と恥ずかしさは無かったの。私のアナルは痔ではないけどスキンタグがあって見た目にすごく綺麗な菊の蕾のようなアナルというわけじゃないので、少し恥ずかしいはずなんだけど、すでにかなり感じていたのと、あまりに自然な流れで、全身の中の一部って感じで愛撫がつながって移っていくから抵抗感の入り込む余地無し。アナルを刺激したがる男性は多いし、中には、「オマエもアナルは処女なんだろ?俺にくれや」みたいなことを言うひともいたけれど、私はアナルは排泄器官であって入れるところではないと思っているので絶対にお断り。だって私にはちゃんと入れるべき場所があるもの。今までの男性と違ってアナルに対して卑猥な言葉を口にしてみたり、ことさらにアナルだからどうのこうのっていうのでなく、自然にされてみたら、これが今までされたどのアナルへの刺激よりも感じるんです。大体全てにおいて先生の愛撫はソフトタッチで自然なリード。でもアナルが乳首同様感じやすい性感帯であることは確かみたい。先生に触られてると、ぺニスはお断りだけど指くらいならちょっと入れて欲しいかも、みたいなもぞもぞした感覚になってきてしまいました。アダム先生がそういうことをされるのかどうかはわからないけど、もしなさるとしたらきっと又凄く丁寧で上手にしてくださるでしょうから。此の時までにはもう充分に濡れてたと思うんですけど、このアナルへの愛撫は相当効きました。この段階で自分の淫らさがぐっと増してきたように思います。
ところで、先に触れた辱めの言葉ということに関して言いますと、私はMっぽいところがあるのですが、それでは大変露骨な、つまりエロビデオみたいな大げさな辱めの言葉に感じるかというと、それが意外とそうでもないのです。その訳は、屈辱的だからイヤ、とかではなく、露骨過ぎてあまりに安直というか、幼稚でしらけるみたいな感じ。まあ、私ってなんてわがままなのかとも思いますが、言葉は控えめくらいの方がかえってイマジネーションが働いて、余計に感じさせられてしまいます。アダム先生の声のかけ方は丁度いいくらいで理想的です。
さらにクリトリスへの愛撫も同様にどんな男性よりもソフト、でも的は外さない。クリトリスの前に、まわりも触られていて、じらされているのが又とてもいいし、クンニに関してはもう病み付きになるのではないかというくらいで今でも思い出すと、して欲しくて仕方なくなってしまいます。1回目の問診時に先生から「クンニは好きですか?」と聞かれて「あまりきもちいいと思ったことがないので別に好きじゃないです。指の方がいい」なんて答えていたのです。でも1回目に先生にクンニをされたとき、そんな感覚は初めてで、言葉ではなんとも言い現せないのですが、すっごく気持ちよくて、汗をいっぱいかいて、カラダを絶えずくねらせたり、ピクピク痙攣したりして大変な感じようでした。先生がいたずらっぽく「クンニは好きじゃないんでしょ?」と聞いてきて、私は「スキ、ダイスキ」って泣きそうになって息も絶え絶えに悶えながら答えたのが強く印象にのこっています。こんな気持ちいいことを今まで知らなかったなんて、一体今までのは何だったの。クンニが出来ない(多分汚いとか思ってるんじゃないのかしら?自分はフェラチオしてもらうのは大好きなのにね)男性も随分いたけど、してくれる人でも先生みたいに上手なのにはあたったことがなかった。私はされている間もう夢中で、先生が何をどうされているのか細かいテクニック的なことは全く解らないんだけれど、密着度が高くて外さない感じ、逃げられない感じ、というか恥ずかしいけれど自分から脚を開いてもっともっととアソコを積極的に押し付けてしまわずにはいられない感じなんです。別のモニターの方のように小刻みになどといた細かな感覚は私の場合には無く、ただ広く全体に性感帯を圧迫されるように感じさせられていて、アナル、クリトリス、クンニなどで私の膣の中はいっぱいひくついて、時にはきゅーっと締まって、何も入ってないのに相当締まるものだからちょっとせつなくて、気持ちい甘い痛みを何度も感じました。何しろ先生の早急でないけれどポイントを外さない責め方は別格、絶品です。大好きな恋人にしてもらうのの何倍も何十倍も感じてしまう。さっきプラトニックが大事と言っていたじゃないかって。やっぱりテクニックなのか。うーん、そうかもしれないけど、でももしかすると、私が好きだった男達よりも先生の方が、私のことをより深く真摯に受け入れ大切に丁寧に扱ってくださっているということでもあるのではないかとも思えます。
こうなるともう指かペニスを入れて欲しくてたまらなくなっています。で、やっと指を入れてもらえて、これも又今までの男性と違って優しいの。でもごめんなさい。勉強不足で、Gスポット、アダムGスポット、Tスポットの区別がよくわからないです。別のモニターの方は説明を受けたらしいのですが、おそらく私は1回目の時にご説明いただいたのだと思いますが、忘れてしまっているのと、まだ私のカラダが開発されていないのか、それとも今までの男性にさんざんスポットを外しているくせに強すぎる指の挿入をされてきたために鈍感になってしまっているのかもしれず、3つのスポットの区別があまりわからないのです。でも今後もっと勉強してこの3つをわかるカラダになりたいと思いました。とはいうものの、指で刺激されている間中、私はすごく感じて声もだんだんと大きくなりメチャクチャに乱れてきていたように思います。
そして何故だか判らないけど「イヤイヤ」とか言ってしまう。先生に「え、いやなの?」と聞かれて「イヤ~、もっとしてー」みたいな。でもこれは私の感覚としては本当なの。
決して恥らっているとか、ぶっているとか、演出しているわけじゃないんだけど、性行為における女性の快感はこういう感じなんだと思っています。それともそれはまだ私のカラダが、未熟だからなのかしら。今度先生か女性カウンセラーに質問してみようと思います。

挿入の瞬間はやっと入れてもらえた、収まるべきところに収まるべきものが入ったと言う満足感でなぜかとても安心します。強い刺激ではないけれど気持ちいい~、とろけそうな感じ。でも大好きな恋人の時のように一体感みたいな感動はあまり無かったです。より正確に言いますと、今までの男性は挿入に至るまでのテクニックや丁寧さが不足しているからこそかえって、この挿入というのにだけスポットが当てられているように思います。こちらとしては、それまでがすごく気持ちいいとはいえないものならばこそ、この挿入のときにこそ、やっと好きな人とひとつになれたということに感動しておこうと言うか、彼との間には殆どそれしか無いというか。ここの部分でこそせいぜいじっくりと味わって精神的肉体的な満足感を得ておかねば、他の部分にはあまりインパクトがないということだと思います。要するに他の男性だとここがひとつの大きな山場なのですが、アダム先生の場合には全体の中のひとつということとでもいいましょうか。
そして大変申し訳ないことに、私は参考項目にある体面上体立位と座位の区別がわかってないのですが、ともかくこのあたりから私の腰の動きが激しくなってしまうのを止められませんでした。騎乗位ではそれがピークを迎え、ガンガン激しく動いてしまってついに先生の体から飛び跳ねて、ベッド右横の空きスペースに落ちてしまいました。そのときに寝ている間にしか経験したことの無いあの感覚がありました。
説明が遅れましたが、私はイッたことが無い、とはいうものの、今までに何度か寝ている時に、具体的に性的な夢を見ている時と、そうでない時とはあるのですが、これこそまさにイクって言う感覚に違いないと確信できるカラダの感覚を経験しています。どこかに吸い込まれていってしまうような、引き込まれていってしまうような、重力がないのにどこか底の無いところに落ちていくような感じ。そして私の長く続く大きな叫び声。眠っているので本当に声が出ているかどうかはわからないのですが、多分声は出ていないと思います。でもまさに絶叫している感覚があるのです。そしてイキき尽くすと眠りから醒めるのですが、その時は満たされていてとても幸せなんです。こんな夢か眠りが何時でも自在に味わえれば男はいらないのではと思うくらいで、何故こんなことが眠っている間に起こるのかわかりません。前世での記憶かしら。なんて、ちょっと怪しげなことを書いてしまったりしてスミマセン。まあ男性における夢精のようなものではないかと思います。今回のモニター時にはこの騎乗位の時と、その前か後かは記憶に定かでないけれど、もう一度同じ感覚を味わっていて、其の時には多分「イッた」みたいなことを口走っていたと思います。でもその2回の快感は、眠っている時に比べるとかなり短い時間でしか持続しなかったように思いますが、なにしろ眠っている時との比較ですから曖昧です。この時には先生もちょっと驚いていらしたような気がします。でも先生はイチイチ他の男性みたいに「イッタの?イッタの?」みたいなリアクションはあまり無くて自然。イケて無いときにはいつも言われてたのにと思うとおかしいですね。同様に気持ちよくない愛撫をする男性ほど「いいでしょ?」「いいだろ?」みたいに言うものなんですよね。またしてもシニカルなこと書いてしまいました。ごめんなさい。
そして後背位は私の大好きな体位です。意外とあまりしてもらえない体位だけど、腹ばいになるととても感じやすいし、お尻を突き出して脇から下の腕全体から胸迄を床につけるのは気持ちいいというより、そんな格好してみるとすごくエッチな気分が盛り上がるし。後ろからされるのは動物的で征服されてる感じが好き。それと同時に背中側にいられるのってなんだか守られている感じも味わえるし。でもあまりしてくれない人が多い。自分から背中を向けて誘ってみるのに、「もう嫌なのか?」と言われたり、もっとはっきり「バックからして!」とおねだりしても、もうまく入れられない人が多いみたい。相手のオナカが出ているせいか脚の長さが合わないせいか、原因はよくわからないけど、ベーシックでありながらなかなかうまく結合やピストンが出来ずによく失敗する体位です。
というわけでなんとおかげさまにて念願のイク事を敬愛するアダム先生で初めて経験させていただいて、とっても嬉しくて、何故だか誇りにさえ思えてしかたないのです。イッてみた感想は確かにステキでした。勿論カラダの感覚もですが、それよりは心理面での効果、つまり先生にイカせてもらったっていう事実を味わうことの方が、私により満足感を与えたように思います。以前に先生がおっしゃったようにイク快感とイカないけど快楽のピークでずっとさまよっているのとは、前者の方が断然気持ちいい、というわけではなさそうに思いました。まあ初めてのことだったので、これからも経験できるかどうかわかりませんし、これからその感想が変わってくるかも知れませんが…。それでもこの度の経験で、先に書かせていただいたように、イク、イカないなんてたいしたことじゃないし、唯一のゴールでも最も重要な事項でもないということを益々実感しました。それは目的ではなくひとつの結果、というよりも要素、とでもいいましょうか。それほど大騒ぎしてこだわらないでもいいみたい。男性達がそのことを理解してくれたら、どんなにいいかしらと思います。仕事における私の大先輩に当たる方ですが、かつては一世を風靡した有名な銀座のクラブ姫のオーナーママで直木賞作家、作詞家でもある山口洋子さんもそのエッセイの中で堂々と書いています。女は男とのセックスでそうそうイクわけじゃない。大抵は演技だと。彼女のこういった赤裸々なエッセイの内容は当時のホステス達からは、「ママ、あまり種明かししすぎると仕事がやりづらいのでいい加減にしてください!」と不評だったと聞いています。
話を元に戻して、その他にもいろいろな体位をしたのかもしれませんが、何しろコトの最中は無我夢中で、やはり最初の懸念どうり観察する自分が無くなってしまい、ちゃんとレポートできないのが申し訳ないです。でもそのほうが幸せだったことは明らか。記憶では1回目の時が体位の一番ヴァリエーションに富んでいたように思います。でももしかすると2回目、3回目と段々激しく感じてのめりこむようになった為に記憶が無いだけかもしれないです。なにしろ3回目が一番感じたから。全身汗まみれになって、髪の毛なんて洗ったみたいに濡れてしまってて、目のお化粧はすっかり落ちてシーツに着いてた。そして動物的な大声を出していたみたい。声って言うか絶叫かもしれない。恥ずかしいけれどきっとそんな様子だったと思います。終わってから先生の腕枕で、「ごめんなさい。あまり覚えてないからきちんとレポート書けそうもない。次の機会がもしあったならビデオカメラで撮っておこうかしら。絶対何処にも流さないから。でもそんなの観るの恥ずかしいかな。どうしよ」などと言ってました。
先生の体位の変換はとてもスムーズで、つながりがあるのも魔法みたい。だから余計に覚えていないの、などと言い訳かしら。でも普通は、よっこらしょ、みたいに途切れて変えるとか、抜けないようにバタバタしながら変えたりすることも多いので、やはり先生はよーく研究されてるんだわ、って当たり前のことかもしれないけれどいつでも感心してしまうのです。
そうこうしているうちに、私は初めての快楽の連続にもうフラフラになり、「もうダメ~っ」て普段は演技だけど、その日は本気で言うので、いよいよ先生がフィニッシュすることに。これも他の方のレポートには書いてあったのですが、読んだのは後のことなので、先生がご自分もフィニッシュしてくださるとは全く思っていなかったから、それを聞いたときは一瞬耳を疑ったけど、とても嬉しくなってしまいました。憧れの先生が私の中でイッてくださるなんて感激。通常は、アダム先生によれば男性が最も簡単に射精に至りやすい、別称射精位であるこの正常位だけの人も多いからあまり感動もしないのですが、これだけいろいろしてきた後での正常位はやはりすごく一体感があり感動的です。男性が上になってカラダ中で彼の重みを感じられることに嬉さがこみ上げてきます。先生のエクスタシーの時の声の大きさと長さはこれまでの誰よりも大きく長く続いてびっくりしました。 今までの人は無言でイク人も沢山いたし、ちょっと声をだしたりうめいたりする程度だったから。「これは演技」「サービス」って思ってしまった程です。あれだけ長くしてきたから快感が大きいのかしら。それとも他の男性がシャイ、あるいは男が声を出すのはみっともないみたいに思ってて声を殺しているのかしら。その辺女の私には全くわからないんだけど、私は外国映画みたいに、パートナーにあんなに声を出してもらえたらやっぱり嬉しいし感動します。勿論、好きな人が射精するときはたとえそれが超クイックタイプでもそれが好きな人であるから嬉しいものですが、これからはそれだと随分物足りなくなりそう。
終わってから少し腕枕をしてもらって、先に書いたように、覚えていないの、ごめんなさい、みたいな内容の会話をしました。もし先生とモニターじゃなくて恋人だったら、こんなステキなセックスの後は、私は長い時間しつこくペタペタ相手にくっついてさんざん甘えて、挙句の果てにはもしかしたら相手の胸で泣いてしまうかもしれません。私はわりとよく泣くのですが、哀しいのではなく、「ああ、この人のことが好きで愛しい~」って思いつめると、感極まって一人の時でも相手と一緒の時でも涙が出てくるんです。切ない感じもするし。これって男性にしたら引くのかしら。重いのかしら。やめておくべきなのかな。でも私にとっては幸せな涙なんだけどNGかしら。相手が自分の中で射精し果てた時に感動して涙が出ちゃうことも時々あるのだけど変でしょうか。私はこれを自分が相当な恋愛体質だからと解釈していますが。
そして又いつものように反対のことを書きますが、恋は切ないもの、うまくいく恋は恋じゃないとも言うし、切なさの訳は、男性との溝、理解しあえなさ、失うことへの不安などから来るものかもしれません。切なさを味わうのは好きだけれど、泣くことも気持ちいいんだけど…、でももしスローセックスでホントにゆっくりと愛し合えたらそういう感覚は少し変ってくるのかなという予感がなんとなくします。スローセックスはオンナの気分を安定させ、強く明るくするかも。
それと関連して思うことですが、私にはちょっとM気があることは既に何度か触れましたが、それが何故であるかについての私の解釈を述べてみたいと思います。一番初めは私がまだ小学4年生くらいで、セックスがどういうことかも知らない頃に、SMの緊縛の写真を見て美しいと思い性的な興奮を覚えたのが始まりです。女性の官能の表情や緊縛されているカラダに憧れました。私は甘えん坊なので、誰か強い人に支配されたいみたいな気持ちが強いのかもしれません。普段しっかりしてて、生意気なだけに、彼氏に対して、特にセックスの時だけはその逆でいたいのかも。つまりよくよく考えてみると、私はやはり真性のマゾとかではなくて、ただ前述のように男性に愛でられ守られるペットみたいな存在でいたいだけなのだと思います。普通のセックスではあまりにお粗末過ぎるから、肉体的には勿論精神的にも満足が出来ない。それでも無理になんとか満足を得ようと、つまり彼が強くて優しくて私にもっと構ってくれるようにと願うから、そこに少しSM的な要素を持ち込むことにより、満足できないジャンクセックスにあえて支配と被支配みたいな感覚を作り出して、なんとか満たされた気持ちへと少しでも近づきたいだけなのだと思います。ですからアダム先生がして下さるようなセックスがあればそれだけで充分。別にSM的スパイスを盛り込む必要は無くなってくると思います。1回目の問診で、私が自分にはM的なところがありSMに興味があると告げたら、先生はそれにはあまり感心できませんとおっしゃったのを覚えていますが、つまりはそういうこと、スローセックスで身も心も満たされて官能を得たら、SMはいらないんじゃないかと思います。それとは別に真に特別にアブノーマルな趣向の方もいらっしゃるとは思いますし、それを否定したり非難したりするつもりはありませんが、SMっぽいことでもしないと興奮できないということは、つまりセックスがお粗末だからともいえるのではないかと感じている今日この頃です。
事後のシャワーも終わって時計を見ると待ち合わせから3時間経過。実質ベッドで汗をいっぱいかいて乱れていたのは2時間強くらいだったと思います。先生からは当日は5時間はみてくださいと言われていたのであと1時間位はしててもよかったのかも。もう駄目~って言ったのは私だけど、もう少しゆっくりしてたら体力ももう少し持っただろうし、もっとよかったかも、ちょっと損したかな、なんて思ってしまい、あれだけめちゃくちゃに感じさせていただいた後にもかかわらず、こんなにも貪欲な自分に呆れながら、これがいわゆるオンナの性ってものかなと変に感心してしまいました。
帰り道はさっきまでの行為の名残で自然に恋人同士のように寄り添って歩くことが出来ました。私はパンストにはどこか興ざめするものを感じるので、大抵はストッキングにTバック派なのですが、その無防備にぷよぷよしたお尻を先生が時々触ったり撫でたりします。背中やお尻を撫でられて、すごくいい気分でご機嫌。見慣れた渋谷や六本木の街が今までで一番綺麗な景色に見えた。「誰か知っている人に見られていても平気」って思ってニコニコしながら歩いていたかも。セラピーの時は終わると一人でセラピールームを出て帰っていたので、別にそのときは寂しいとは思わなかったけし、今回もそういう感じだろうと思っていたので、こんなオマケが着いていたなんて幸せ気分でいっぱいでした。私は普段は、若いときはよく褒められたボリュームがあり上がっていたお尻が、今では年齢と共にぷよぷよして垂れていることを実はけっこう気にしていて、彼氏にもあまり触られたくなかったりもする状態。しかし心配には及ばす、歩きながら触ってくれるような気の利いた相手もいないのですが、アダム先生との行為の後には、そんな体型のことなんてほとんどと言っていいほど気にならなくなっていました。だからといって私がエクササイズなどの抵抗をやめて怠けることはないでしょう。私はいつでも出来る限り男性にとって美味しい存在でいたいと思っているし、食べ物やお菓子は我慢できなくても運動はあまり苦にならないほうだから。それはアダム先生から女性として大事に扱われ愛された時間が、私に自信と安心感をもたらしていたからに違いありません。先生から「イッた時のカオ、可愛かったよ」なんて言っていただいて、恥ずかしくて嬉しくて歩いている脚の力が抜けて行ってしまいそう。そしてさっき終わったばかりなのに、ちょっと感じてきて、すこし濡らしてしまっているかな。また欲しくなりそう…という感じを味わいながら、いつもの街をふわふわしながら歩きました。私はそうやってフワフワしているのに、先生はすっかりリラックスしているようでいて、もちゃんとクールさも保っているみたいでした。というのは、私の背中を触って、私の背中の左右の筋肉のつき方が違うことを指摘されたから。実はこの背中のアンバランスはもう20年来で、痛みを引き起すなど私を悩ませているのです。私が先生の感覚の鋭敏さに感心すると「そんなの、こんなに違うんだからすぐ判るじゃない」って。でも今までの彼氏は私が言うまで誰も気づいてくれなかったもの。先生の繊細な感覚に驚かされました。いつも女性を気持ちよくさせ、ご自信も楽しみながらも、ちゃんと絶えず冷静に気遣いをされていて、でもそれを相手に気づかせない、これって凄くないかしら。常に、自己中心的ではなく女性を思いやるってことがすっかり身についていらっしゃるのだと思います。ホント、尊敬の一言に尽きます。
食事の後は、先ほどの私の激しい腰使いや絶叫からして、私のパッションにラテンダンス、サルサが合うかもしれないよ、と言われ、先生行きつけの有名な六本木のサルサクラブに連れて行っていただきました。3連休の中日とあって、フロアは超満員。六本木を歩いているときから先生は街のカオでいっぱい知り合いに会ったのですが、それでも私に寄り添うのを止めないでいてくれたのもなぜか嬉しかった。で、そのクラブでも知り合いの女性が何人も。サルサは普通のクラブと違って、ある程度の知識と練習が必要。私は初めてなので踊れません。先生からは今日は見てるだけだよ、と店に入る前に言われていました。でも先生が何人かの女性とサルサを踊るのを観て、うーんやっぱりさすがアダム先生、とまたしても感心させられました。上手なことは勿論だけど、それだけじゃなくて表現力が豊かで、満員電車のように人がひしめきあっているそのフロアの中でも、先生のところだけがひときわ目立ちます。ダンスってセックスと似ていることは前から確信してましたが。先生のリードと表現は他の男性とは全然違って、誰よりも情熱的で官能的でかつ独創的。しばらくすると先生は私を廊下へ連れて行き基本のステップを教えて下さいました。教え方もリードも上手で、私もぎこちないけれど少しだけ真似事をさせていただきました。それにしてもあんなに長いセックスをした後なのに先生は少しも疲れた様子は無く、とても元気でどんどん踊り続けてるの。以前に一日に3セッションもしてお疲れになりませんかと尋ねたら、セックスはエネルギーの交換だから疲れない、とおっしゃっていらしたのを思い出しました。それと私は凄く感じて悶えて体力使ったけど、先生は私ほど乱れていた訳ではないからかしらとも思いましたが、なにしろ先生は私を冷静に観察されていて私を快楽に溺れさせてくださったけれど、私の方は先生がどうしていらしたかほとんど覚えていないのですから何とも言えません。普段は眼をつぶっていたとか何を見ていたとか覚えているけど、さっきの先生とのではそういう記憶も無いし、何かを見ていたかとか、眼を閉じていたとか全然思い出せないのです。もし、スローセックスで官能の世界に浸れる相手が見つかったならば、私ももう少し慣れて、相手にちゃんとすべきことをして差し上げられるようにならなくてはいけないのかもしれません。とにもかくにもサルサは先生から私への贈り物と勝手に受け止めた私。先生とセックスは出来なくても恋人になれなくても、いつの日か先生と、もっと上手に、そして私なりの表現を出来るようになって一緒に踊らせていただきたい、とサルサを習いに行くことを決めました。その2週間後の今日、初めてのサルサのベーシッククラスを受け、初心の男性が女性をリードする方法と女性のリードのされ方の説明を受けました。しかしこれがなかなか難しくて…、そんなこともなーんにも知らない私を先生はそれなりに踊らせてくださりターンさせたりしてくださったんだなあ、すごいなあと、またしても改めて知らされたのでした。
モニターの日、夜も11時位になって少し疲れてきた私は先に帰らせていただくことに。先生は六本木の交差点あたりまで送ってくださり、又サルサクラブに戻られました。
モニターの幸せいっぱいの時間の後、家で改めて先生の著書をぱらぱらと読ませていただいていますと、今まで男性の至らなさばかり書いてきたけれど、実は自分にも反省点がいっぱい。つい今までのジャンクセックスやクイックマスターベーションの癖が出て、見境も無く自分からガンガンに腰を動かしてしまったりして、もとゆっくりと味わうべきだったなあ、もったいないことをしてしまった、あそこで少しスローダウンしたりしていたらどんな展開になっていたかしら。あえてわざと動きを止めてみたり途中で先生に止められたりしていたらきっと最後の快感はもっと大きかったんじゃないかしら。などと残念に思えてなりませんでした。でも先生が止めたりスローダウンしなかったのは、とりあえず私の1年前の最大のこだわりがイクことにあったから、ここはとりあえず一度はイカせておこうとのお取り計らいだったのかもしれません。すぐにイカないでイキそうになったらあえてストップしてゆっくりに戻してすると、更に深いエクスタシーがなんてよく耳にはするけど、それはイク事を充分に覚えた人の言うことであり、いつイクとかこれからもイケるとかも全然判らない私には無理な話なのに、つい調子に乗ってそんなことも考えてしまうなんて、私はホントにエッチに貪欲なんだと思います。
その後2回目のベーシッククラスのサルサレッスンの時、女性のサルサの先生が辛口の面白いコメントを男性に対してされたのでここに紹介したいと思います。先に書いたようにサルサでは女性は男性のリードによって踊ります。
「リード、エスコートの上手な男性は女性に人気があるもの。でも勘違いはしないでね。テクニックは大切ですが、なによりベーシックが大切。何がやりたいのか判らないようなはっきりしないリードや、独りよがりにテクニックだけを、あれもこれもできるぜって披露して得意げに踊る人がいるけど、女性ははっきり言って大迷惑なの。そんな風な男性よりは、たとえベーシックステップだけであっても、本当にパートナーを思いやって気持ちよく楽しく躍らせてくれる人と女性は踊りたいとおもうものなのよ。是非あの人と躍りたーいと思われる男性になってくださいね。それにはこのベーシッククラスでの女性のリードの基本が本当に大切なの。上のクラスに行くといろんなテクニックがでてきて余裕が無くなっちゃうから、今のうちからまず女性のことを考えてコミュニケーションが上手に出来る男性になっておいて下さいね!」とのアドバイス。なんだかやっぱりホントにダンスってセックスと似ているよね、とまたまた実感して、丁度このレポートに取り掛かっていた私は一人で大ウケしていました。
ベーシックサルサのクラスは、前半は各自ばらばらでステップの練習。そして後半は前半のステップを応用してのカップルワークとなるのですが、面白いと思うのは、ここはサルサクラスで、普通はサルサを女性と踊りたいって思っている男性が来ているはず、なのにシャイなのか女性慣れしていないのか、うつむいてばかりとか、あさっての方向ばかり見ていたりと、全然相手と向き合おうとしない男性が意外と多いこと。もしかしたら普段モテナイ君とか特別恥ずかしがり屋の純情君が、やっとこさ勇気を振り絞って、女性と踊ってみたい、サルサでも踊りにいって女性と仲良くしたいと、レッスンに参加してくださっているのかもしれませんが、こういう男子はセックスのとき一体どういう振る舞いするのかしら、などと思わず考えてしまいます。日本の男性は大体においてとてもシャイですよね。女性といちゃいちゃするのは男性らしくないとでも思っているのではないかしら。年配の世代は特にその傾向が強いけど、若い人でも男があまり女性とペタペタしたりするのはみっともないし男として恥ずかしいなどと思っている人も多いように思います。だから基本的なふれあいを無視し、大切な本質的な触れ合いからは逃避して、いきなり激しいディープキスや荒々しい愛撫、そして独りよがりのテクニックで、とにもかくにも男としての表面的な間違ったプライドの為に、これで相手の女性はもう充分感じているとかイッてるに決まっていると思い込み、腰をガンガン振りまくって射精、なんてことになるのではないかしら。AVなどでは男性が女性に必要以上にというか大げさすぎてまるでギャグとしか思えないような台詞を口にし、女性はあくまでも従順でそれに応じて喜び、最後は顔射とか。別に顔射が特別悪いとか私はイヤですとか言っているわけじゃないし、たまには好きな人の精液を飲んだり、カラダや顔にかけてもらうのもお互いが楽しめればそれでいいと思うけれど、AVを観てると、こういう画像は女性の気持ちを解ろうとしない男性にはものすごく悪影響なんじゃないかと思えます。シャイなのか、恥ずかしいのか、照れているのか、はたまた傷つきたくないからかは判らないけど、ベーシックなコミュニケーションが出来ない為に、その事実から逃げるようにしてテクニックと勢いに走り、それでも男性用AVの女性はわざとらしく感じまくるものだから、それを観る男性はそれこそが女性の真の姿だと勘違いしてしまう。最後は願射で決めて、ばっちり女性を官能させ征服したぜとの大きな誤解。これでは男女間の細やかで奥深いコミュニケーションは得られず、セックスの真の醍醐味、悦びを堪能するには程遠い気がしてなりません。
サルサに関して言えば一般には外人男性の方が文化的バックグラウンドのせいか、たとえ一人で練習しているときのステップがあまり上手くない人でもいざ女性と向き合うと、何がしたいのかはっきり判るリードをしてくださるコミュニケーション上手な人が多いような気がします。以前2回だけ参加したアルゼンチンタンゴのレッスンでも同様でした。アルゼンチンタンゴの場合は手先でリードするのはあまり好ましくなく初心者のやることで、胸とか体全体で女性に動きを伝えてリードするので、サルサよりも難しいともいえるかもしれません。話がそれましたが、そういうシャイなところや抑えた表現は日本男性の、そして日本文化の美点でもあるかもしませんし、そのような日本の男性がサルサをやってみようとクラスにいらしてくださるだけでも、大きな進歩と言えるかもしれないのですが、ラテン文化の良いところは取り入れてより人生を楽しむことはみんなを幸せにするとても素晴らしいことだと思います。
今回モニターレポートを作成する機会をいただいたことは、自分の体験を確認し再認識するためにとても有効でした。しかしながら作成している間中、ずっと下着を濡らしてしまう欲求不満状態には相当悩まされましたが(笑)。
1,2回目のセラピーの時と同様モニターの後も当分、アダム先生の魔法でエッチなモードとテンションがかなり上がってしまいます。現在パートナーがいない私は持て余してしまって大変。どうしたらいいでしょうか。などと又女性カウンセラーに相談に行こうかしら。まあ当分はダンスで発散ですかね。でも希望は捨てずにいつかスローセックスを楽しめる相手と出会うことを夢見ています。ひとりでも多くの男女がアダム先生の提唱されるスローセックス、トゥルーセックスのコミュニケーションを楽しみ、大いに満たされ深く癒されることを願ってやみません。そうしたら世の中が何かどこか根本的に変るかも。これは「LOVE&PEACE」メッセージで有名なヨーコとレノンのベッドイン以上のインパクトと影響力をもたらすようにさえ思えます。
まだまだ何か書き残したことがあるようにも思いますが、とりあえずは思いつく限りの思いのたけをひと通り書かせていただき随分すっきりしました。偉そうに生意気なことばかり思い切って書かせていただいました。まだまだ勉強中の私ですから、なにか至らないところがあってもどうぞお許しいただけますようお願い致します。
そしてもし機会をいただけるならもう一度モニターをさせていただきたいと思っています。もしも次の機会が与えられたならば、先生を好きになってしまったら後で苦しくなる、なんて余計な心配はせずに、キスやフェラチオをはじめ、自分からも能動的にアプローチしてみたい。許されるなら正確なレポート作成の資料としてビデオカメラで撮影してもいい。待ち合わせの時から恋人モードに入り着衣のままの愛撫もしてみたい。今回私は髪の手入れが充分でなかったからか髪に愛撫を受けなかったけど、次はぜったいさらさらの髪にしておき、お互いの顔も愛撫しあって…、肌や身体のお手入れも自分なりにもっとちゃんとして磨いておきたいな。勿論3つのスポットがわかるように自習も怠らず、又多忙なので時間がかかるでしょうが、先生の全ての著書やDVDなども全てお勉強してから再度モニターの機会をいただけたら、と思っています。
アダム先生を好きになったら困る、という心配に関しては、ともかく先生はスターで私はたまたまの一度限りの相手だとか、何か事情があって一度限りしか許されない関係なのだとか、これを最後にもう会えない定めの恋人同士なのだとか思えばいいと思います。もしも、の話ですが、次の機会がいただければ、その時には先のことなど心配せずに自分の情熱をおもいのたけ表現してみたいと思います。
もちろん、なるべく早い時期にスローセックスをお互いに研究し高めていけるパートナーが見つかれば最高ですよね。でももしパートナーが出来ても上に書いたモニターはさせていただきたい。アダム先生との今までのことや交際中にもモニターになる(許されればですが)ことを相手に告げるかどうかは、その時の相手の様子次第で考えるか、あるいは又女性カウンセラーの方にでも相談させていただいて決めたいと思います。
では敬愛するアダム先生と先生のお仕事をサポートしてくださっている女性スタッフ、そしてスローセックスに理解を示してくださる全ての方々に感謝の気持ちを込めて、このレポートを提出させていただきます。ありがとうございます。