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★奥ゆかしい妻が絶叫したときの喜び

日付: 2014年10月17日

私たちはセックスに対して

羞恥心や後ろめたさを持っています。

 

人によっては嫌悪感や罪悪感すら持っています。

 

どうしてそのような価値観を

持っているのでしょうか。

 

私はその原因の一つに宗教があるのでは

ないかと考えています。

 

たとえば仏教。

 

歴史の教科書で聞き覚えのある親鸞聖人。

 

鎌倉時代に活躍した浄土真宗の宗祖です。

 

しかし当時親鸞は破戒僧・堕落坊主・色坊主と

罵詈雑言を浴びせられ

非難を一身に受けられたのです。

 

なぜでしょうか。

 

それは親鸞が妻帯されたからです。

 

当時、天台宗や真言宗など仏教では、

妻帯は固く禁じられていました。

 

厳しい戒律を守って修行に打ち込み、

欲・怒り・愚痴の煩悩と闘って、

さとりを得ようとするのが、

これらの教えだからです。

 

悟りを得るために煩悩を滅する。

 

色欲はまさに煩悩の極みです。

 

つまり色欲を否定するところから

セックスの否定につながっていくのです。

 

しかし宗教が説くように

セックスはいけないことなのでしょうか。

 

生殖行為の目的のためならば

馬の交尾のように一瞬の交接と射精で

いいわけです。

 

しかし人間のセックスはそうではありません。

 

女性のカラダは快感とオーガズムを感じるように

つくられているのです。

 

スローセックスを体験した女性は

その快感にカラダを震わせながら絶叫し

幸福感に包まれるのです。

 

セックスは神さまからのギフトなのです。

 

以下にプライベート講習を受講された男性の

メールをご紹介します。

 

セックスがいかに幸せをもらす素晴らしいことか

ご理解ください。

 

<前略>

 

妻は奥ゆかしくできているせいか、

自分から誘うことはありません。

 

ということはぼくから言い出さなくては

事が始まりません。

 

しかし自分の心に残っている罪悪感から、

性行為をしたいということを

頻繁には口にできませんでした。

 

「性欲のはけに私を利用している。」と

思われるのではないかと

恐れていたからでした。

 

<中略>

 

2人は肌をずっと密着させたまま、

スローセックスを始めたのです。

2人はぴったり寄り添ったままです。

2人で愛し合うという感じでした。

 

妻の叫びは吠えるようでした。

そばにいる自分が耐えられないような大きな絶叫。

初めてでした。

まだ挿入をしていないのに、

陰部を触っているだけの段階で

何度もいってしまいました。

途中で涙すら浮かべ始めたのです。

 

妻のからだの中に入ると、

妻はもうぼくの名前を呼び始めます。

 

何度も何度も呼びます。

 

早く達してほしい。

自分がいきそうだから、

早くぼくにもいってほしい。

 

一緒にいきたいという意思表示です。

 

ぼくも何度も妻の名前を呼びました。

 

好きだ。

 

愛しているという気持ちをこめて。

 

これがまさにぼくが望んでいたセックスでした。

 

こうして週末ごとに愛し合うようになりました。

 

結婚して15年も経つ人間が

人にこんなことを言うのは恥ずかしいのですが、

自分の気持ちが婚約した頃に戻った感じです。

 

身も心も幸せに包まれています。

 

週末が待ち遠しくなり、

平日は昼間から週末のことを思うと

股間が大きくなってくるのです。

 

愛し合う姿を思い浮かべるだけで

熱くなるなんて独身時代にもなかったことです。

 

<後略>

 

いかがでしょうか。

 

このような幸せをもたらすセックスが

いけないことでしょうか。

 

幸せを感じて生きることが

人生の目的です。

 

それが神さまの願いなのです。

 

セックスは幸せをもたらす

最高の行為です。

 

ぜひスローセックスを実践し

幸せを感じてください。

 

 

アダム徳永

 

 

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