★セックスは神聖で崇高な行為なのです
日付: 2019年07月28日
本来セックスとは、
とても神聖で尊い行為です。
崇高なセックスなのに
今の世の中では、
どんな扱いを受けているでしょうか。
「いや らしい 」「汚らわしい 」
「 ふしだら」「 エロい 」「不潔 」
「 不良」「不謹慎 」などなど・・・
セックスについて語る人を
ときにさげすみ、
性に関する大事な悩みをタブー視し、
まるで汚れ物にフタをするかのような
ひどい扱われようです。
しかしこうして私たちが
存在しているのは、
私たちの両親の
性欲とセックスの賜物。
愛し合った男女が
祝福を受けて結婚し、
性欲があるおかげで
セックスができて、
結果二人の愛の結晶である
赤ちゃんを授かった。
そうやって生まれてきたのが
私たちです。
人間にとってセ ックスは、
愛の行為なのです。
神棚に飾って手を合わせるべき
存在であっても、
決して公園のトイレの片隅に
追いやるべきものではないはずです。
学校教育ではいまだに
杓子定規に中途半端な性教育が
繰り返されています。
エイズや感染症の恐怖を訴え、
堕胎による女性のカラダへの
悪影響だけを連呼します。
だから避妊をしましょうという。
そのこと自体に異議はありません。
しかし男女が
セックスをする尊さ、
愛し合うことの幸せを教える前に、
セックスの恐怖を
植え付ける教育が功を奏すとは
私には思えません。
反対に、
「セックスは汚い行為」
「 陰で隠れてする行為」
といった誤った偏見が、
結果的に子どもたちの心とカラダを
傷つけることに
つながるのではいないでしょうか。
子どもたちにセックステクニックを
教えようと言っているのではありません。
愛し合う男女が満ち足りた
セックスをすることが、
どれほどの幸福をもたらすのか。
そのすばらしさ、崇高さを説き、
偽物ではない本当の
“あこがれ”をまずは
持ってもらいたいのです。
幸せになるために
セックスをするのだと。
そしてそのために必要な10代の
みずみずしい感性を育ててあげる。
それが性犯罪に走ることなく、
自分の性を冷静に受けとめる知性を育て、
異性のことも真撃に考えられる、
成熟した大人になるための
栄養分になると信じています。
アダム徳永