★私の結婚と離婚と再婚について


私の青春時代は灰色でした。

私は人の10倍男女の恋愛に憧れる
超ロマンチストの青年でした。

自分でも異常じゃないかと
思っていたほどです。

そんな私は中学・高校・大学を通じて、
一度も恋愛する経験がありませんでした。

ただ女性と縁がなかった
わけではありません。

当時の私は文学や哲学や宗教の本を
読み漁る青年でした。

そんな私は彼女たちと
会話が噛み合わなかったのです。

太宰治の文章は魅力的だとか
ゲーテの詩はロマンチックだとか
バッハの音楽は深遠だとか
ミケランジェロの彫刻は神業たとか
そんな話しかできませんでした。

いま思い返すと
本当に気障な若者でした。

それでは相手の女性は
辟易してしまします。

当時の私は観念的で
頭でっかちだったのです。

私は社会人になってから、
恋愛に対する絶望から

「真の男女の愛は
この世の中に存在しない」

「永遠の愛なんて理想論だ」

と決めつけ、
厭世的になっていました。

現実世界の恋愛に
希望を見出せなかった私は、
苦悩の末
お見合い結婚を選択しました。

それしか女性と縁が
持てなかったからです。

私が結婚相手に望んだ条件は
「家庭的な人」だけでした。

それ以外のことはどうでもいいと
思いました。

なぜなら自分の嗜好と
価値観に確信がなかったからです。

私は自分の気持ちがこころころ変わる
移り気な自分であることを
感じていたからです。

私は自分の女性の好みを無視しました。

結婚生活をおくれば
自然と愛が芽生え
深く愛し合えると思ったのです。

あまりにも観念的な発想でした。

私たちの結婚は
ボタンの掛け違いから
始まりました。

事実、妻は家庭的な人です。

しかし本来、
私はロマンチストです。

結婚したあとも男と女が愛し合う
世界に憧れていました。

もっとはっきり言えば、
本当に愛する人と
愛のあるセックスをしたいと
思っていたのです。

その根源的な欲求を
消すことはできませんでした。

私はどこかに本心の願いを
置き去りにして
結婚生活をおくったのです。

これでは無理があります。

しかし理想主義者の私は
良い夫、
愛のある夫を演じました。

愛のある家庭をつくろうと
努力しました。

自分の感情を
無視することによって
パートナーに対して
我慢する人生を
送ることになったのです。

我慢することは
愛し合う関係にはなりません。

パートナーに自然な愛が
流れないのです。

私たちは表向きは
とても仲のいい夫婦でした。

子どもたちも
離婚を口にするまで
そう思っていました。

お互いが愛し合うためには、
素の自分をさらけ出すことが
必要です。

相手を思いやる
心遣いは必要ですが
自分の気持ちを素直に
現すことも必要なのです。

そのため喧嘩になることも
あります。

喧嘩になるのを恐れて
我慢してしまうことのほうが
愛の関係を遠ざけてしまうのです。

皆さんもご存じのように
私は偽りの人生を清算するために
7年前に離婚しました。

愛の世界を説いている私が
自分を偽って人生を生きることは
不誠実だと思ったのです。

そして再婚しました。

私は現在のパートナーとは
とても相性がいいと思っています。

以前はいい旦那を演じていて
ケンカすることはありませんでしたが
今は感情を爆発させて
激高することもしばしばあります。

いい夫を演じてきた自分から
素直な自分を妻の前に出す人間に
変わることができたのです。

紆余曲折の人生を
辿ってきましたが、
いまは青春時代に求めてきた
愛し愛される喜びを
こころから味わっています。

日々立派なことを
書いている私ですが
実は普通の人間です。

立派でもなんでもありません。

ヒーヒーいいながら
生きています。

ともに皆さんと
幸せに生きたいと願って
生きています。

アダム徳永